2006-12-23

今年最後の定例演奏会

とはいえ内容はいつも通り。

中庭野外ステージにて。写真は子供達による臼と杵の踊り。クリスマスの時期のせいか夜8時過ぎまでお祭のような感じだった。サンタ風の変な三角頭巾もかぶらされた。

これで文化センター音楽協会の今年の活動は終了。次の練習も来年からとなります。

次学期の入学受け付けが1月6~27日だそうなので、バンコク在住でお子さんに踊りや楽器を習わせたい方はこの機会にどうぞ。

2006-12-09

ソムバット・チムラートに会う

この日はいつもの練習の後、イベントを見に行こうとN先生からのお誘い。

タイの一般の人には最も有名であろう盲目のモーケーン、ソムバット・チムラート先生(アーチャーン・ソムバット)に会えるということで、これは行かねばとラーマ8世橋の近くの川岸の公園へ向かう。

会場では身障者の為のイベントが行われていた。車椅子のジャーナリスト、クリッサナ氏やスキンヘッドのドイツ人コメンテータ等、いつもテレビで見慣れた顔ぶれとソムバット先生のトークショー。

もう一人の司会の西洋人もテレビでよく見る人だけど、その流暢なタイ語に驚いた。言葉の端々にジョークを交えて常に客を笑わせている。

ソムバット先生はケーンでいろんな音の音真似なんかを披露して、もはや芸人という感じ。最後はラーイ・ロットファイ(汽車)も披露して「あぁCDで聞いたのと同じー」と感心、あたりまえか。汽車の走り出す音はケーンを指先で叩く音だったんだなとか、細かいことだけど。

トークショーを終えたソムバット先生を、いきなりN先生が連れ出してきた。どうやら元々知り合いらしい。

N先生から指示されたので、恐れ多くもソムバット先生のスッサネンを本人の目の前で吹かせて頂きました。暴挙かなと思ったけれど、どうやら喜んで頂けた模様。「音は全部正しいよ、でも息がまだ正しくないね、それともっと速く」とアドバイスを頂く。今まで「速すぎ、もっとゆっくり」というアドバイスばかりもらっていたので「もっと速く」というアドバイスにはびっくりした。

こんど会いに来れば一対一で教えてやるよ、とのことなので、機会を見つけて会いに行ってみたい。

夜は別ステージに移動してソムバット先生と人気ルークトゥン歌手のピーサドァートの競演。他にもタイで活動する西洋人ブルースギタリスト(プロムポンのブルースバー『トーキョー・ジョーズ』で見たことある人)や日本から来た不可思議なバンドも演じていた。

ソムバット先生は盲目であることもあって、身障者の為のイベント等では度々目玉になる存在のようだ。

以前マハサラカムで会った、ソムバット先生に教えたことがあるという高齢のモーケーン、アーチャーン・ブアラーから聞いた、「ソムバット・チムラートは大衆演奏家である」という言葉を思い出した。演奏家は能力を高めていくと、どんどん高尚なものを求めて行き、やがて大衆が聞いてもその意味が分からない世界に行ってしまう。ソムバット・チムラートはその対極に居る。つまり大衆が理解できることをやり続けている大衆演奏家である、と自分は解釈している。

以前ここに紹介したソムバット先生のCD。

昔聞いた時は、好き放題に技巧を見せつけているように感じていたが、今改めて聞くと全く印象が違う。

むしろ基本に忠実で、付け加えた技巧的な部分は誰にでも理解できる分かりやすい味付け。かつての伝統的な奏法の豊かさ、芸術性とは対極に位置するかもしれないが、良い意味でも悪い意味でもこれが現代の大衆演奏家(モーケーン・プラチャーチョン)の演奏であると思う。

2006-11-18

スーパーマーケットで飲む

いつもの練習が終わったら、珍しくA先生がちょっとだけビールを飲みに行こうと誘ってきた。

この人はピンの奏者で温和な性格の人。普段土曜日は朝から夕方まで文化センターで教えた後、外の催し物やレストラン等で深夜までの演奏の仕事に行く。都庁文化部の公務員なんだけど一年中そんなふうに働いている。休みなくて大変じゃないの?と以前聞いたことがあるけど、「休みが有ってもすることが無い」んだそうだ。

N先生とその弟子や踊りの先生も合流して、なぜかカフール(フランス系のスーパーマーケット)へ。フードコートのテーブルに陣取ってスーパーマーケット内で買った缶ビールを飲み始める。こんなところで飲んだのは初めて。

話を聞くと、どうやらA先生とN先生のアメリカ行きが決まって、そのささやかなお祝いらしい。二人とも演奏旅行に海外に行く機会は多いけれど、やはり仕事でアメリカに行けるというのは、タイ人にとって特別な事のようだ。

ところでカフールで飲むというのは、雰囲気はともかく効率は良いようだ。フードコートだからツマミは無数に選べるし、ビールはそこのスーパーマーケットで買うから最も安い値段で買える。掃除のおばちゃんが時々ゴミを片付けて来て、ついでにだべって行く。ビアガールの代わりみたいなものか。これは無理があるかな。

ツマミで特に人気なのは一個10Bの寿司もどき。皆なんだか大量にわさびを付けて食べていた。タイ人はわさびが大好き。自分は「こんなの寿司じゃない」とか「日本人はそんなわさびの使い方はしない」とか、ぶつぶつ言いつつも一応食べた。ほとんどカニカマだったけど。

缶ビールで解散かと思ったらそのうち小瓶を飲み始めて、やがて大瓶になって、結局大量に飲んだ。そういえばスリンに行った時もホテルの部屋で4人で1ケース飲んでいた。結構よく飲む人達だ。

2006-11-05

ローイクラトン♪


十一月、月が満ちて
川の水も岸まで満ちると
それは楽しいローイクラトンの日

ローイ、ローイクラトン
ローイ、ローイクラトン

クラトンを水に流したら
子供達も出てきて踊ろう

踊るよ、ローイクラトンの日
踊るよ、ローイクラトンの日

心が幸福で満ちる
心が幸福で満ちる


上の訳は適当(笑)。
ローイクラトンの歌と歌詞はこちらで見れます。

2006-11-04

シアン・イサーンを見に行く

ルクトゥン系日本語ブログにシアン・イサーンの野外コンサートが近所のオンヌット行われると書いてあったので、近所なので見に行った。

この手のコンサートはとにかく会場が混乱しがちでのんびり見ることができないので、最近はよほど近所でなければ行かなくなってしまった。

そして思ったとおり、今回ものんびりと見ることはできなかった。プラカノンの野外コンサート会場よりも遥かに大きい会場なのに、それでも人が多すぎて近くで見ようにも前に進めない。ちゃんと見えない欲求不満状態の客同士でいつ喧嘩が始まるか分からないから心配だし。

行って何が見たいかと言えば、コンサートの多くをしめるコントのバックのケーンの生演奏を見たいぐらいなので、舞台から100mじゃとても満足できない。不満がつのるので夜11時前に会場から出た。先のブログで後日談を見たら自分が出た後で大きな喧嘩が起きて大変だったようだ。パニック状態になった観客が狭い出入り口に殺到したのだろう。

近所と言えば以前はプラカノンの駅近くの野外コンサート会場ぐらいしか無くて、そこに有名なシリポンやチンタラーやチャルァームポンが来る時だけ行っていたんだけど、最近クロンタンやオンヌットでも頻繁に野外コンサートが開かれるようになってきた。来月の12月8~14日は一週間ぶっとおしのフリーコンサートもあるらしい。フリーということは狭い出入り口も無いだろうから、期間中何度か行ってみても良いかな、と思う。でも行ったらまた幻滅するかな。

2006-10-23

スリン続き、ブリーラムへ

翌日もまた寺で儀式。トートガティンと呼ばれるこの儀式は、寺にお参りして坊さんの服となる布を献上するもの。

タイの地方の寺は小学校を兼ねていることが多く、ここも多くの少年僧の宿舎と学校でもある。我々のポンラン楽団の本体はタイ音楽協会という組織に属していて、その関係者全てからの寄付で校舎を建て、机と椅子を寄付する、というのが今回の訪問の本題らしい。

写真は寄付された机に座ってみる少年僧達。

儀式では誰がいくら寄付したかをいちいち読み上げる。ようするに金額を競い合っているのだけど。坊さんの説教を含め、儀式は何時間にも及ぶので我々は外でのんびりと過ごす。そのうちに「総額100万バーツを越えましたー!」という声がスピーカから聞こえた。

一通り儀式が終わったら、奇声を上げながら行列で本堂の周りの練り歩くお馴染みのカブアンヘーと呼ばれる行事。これがあると知っていたらケーンを持ってきたのにホテルに置いてきてしまった、残念。でも太鼓はいっぱいあるので、それとシンバルで行進。

この日午後は普通に観光へ。スリンはシルクの名産地なので機織工場や、クメール遺跡を観光。二階建て家屋ぶち抜きの機織機なんかが面白いですね。布は高くて買えないけど。


翌日、3日目はブリーラム県のパノムルン遺跡へ。

パヌムルン遺跡はイサーン地方の遺跡の中でも結構大きいクメール遺跡なので人気観光地。丘を上って遺跡本体のある場所まで行くとカンボジアの平野を見ることができる。

実は何年も前に旅行仲間と一度行ったことがあるんだけど、結構好き。

しかし丘を登り始めたら舞踊の先生(女性)がいきなり日射病で倒れる。この後この先生、遺跡の中でも足を踏み外して転ぶ。だいじょぶでしょうか。

我々は遺跡の中あちこち移動しながら、初日にバスの中で覚えたプータイを合奏。雰囲気がある場所なので結構心地良い。

地面に帽子を置いておいたら、お金を入れてくれる人が結構いました。ありがたや。観光地に行ったら毎回やろうかな、これ。

ブリーラム観光を終えた我々はそのままバンコクへ。
演奏が少なくてほとんど観光だったけど、なかなか楽しい三日間だった。

遺跡でポーズをとるダンサー。

2006-10-21

スリンにて、カントゥルム

この日はポンラン楽団とダンサーその他、50人もの大所帯がツーアバス2台でスリン県へ向かう。目的はスリンのお寺でのタンブンと地元の楽団との競演、あと遠足。

今回もN先生が同行したので、行きのバスの中でプータイの伴奏方法を習う。プータイとはタイの一民族名であると共にその民族の歌の名前でもあり、いろんな演奏スタイルがある。例えばケーンの独奏、ポンラン楽団用にアレンジされたスタイル、ピーイサーンという笛がメインで合奏するスタイル、など。

今回はピーイサーンの主旋律に合わせたケーンでの伴奏を教えてもらった。現代のポンラン用アレンジとは全然違う古いスタイル。これはもう別物と言ってもよいかもしれない。

行きのバスで何時間もやってたのでかなり覚えたと思う。おかげで同じバスの人は寝られなかったと思うけど、楽団の旅行なら普通のことなので気にしない。

夕方スリンのお寺に到着してさっそく儀式。坊さん達に祝福をもらう。

地元の楽団が儀式用の音楽を演奏。この地方の音楽はカントゥルムと呼ばれるもので、ソー・カメーンと呼ばれるカンボジア風の弓で弦を引く楽器が特徴。これに太鼓とチンチャップのリズムで歌が加わる。カントゥルムはタイでは結構メジャーなジャンルで、その旋律がポンラン楽団用にアレンジされたものも多い。

儀式の後は寺の境内のステージで、我々のポンラン楽団と交互に演奏。

カントゥルムのパフォーマンスでは、舞踊以外にもいろんなストーリーのある演技が見られる。闘鶏を模して演技者同志が強くぶつかり合うという風変わりなものもあった。カンボジア国境近くの土地なので総じてクメール文化の影響が強い。歌もカンボジアの言葉が多く、タイ中部の人のみならずイサーン人でもほとんど理解出来ないそうだ。

本場のカントゥルムを見るのは今回が初めてで、なかなか興味深かった。ソー・カメーンの旋律は一度聞くとかなり耳に残る。夜11時ぐらいまで演奏した後、我々はホテルへ向かった。

動画各30秒1.3MB
追記: 片仮名の表記をカントゥルムに修正した。タイ語では กันตรึม

2006-10-14

定期演奏会

相変わらずの定期演奏会。今回は二つの曲からなる新しい踊りのセットが加わった。

しかし曲名が分からない。前の週から、練習してる時に回りの若者に訪ねてるんだけど誰も知らない。楽器の先生に聞いても分からない。どうやら踊りの先生が持ってきた曲なので彼女に聞かないと分からないらしい。

準備の時、なぜか自分用にポンランを設置されてしまった。ポンランはまだ無理ですって。今回もケーンですよ。

あと元お笑いのS先生がイェームヤソートンを熱唱。満足そうだった。

この日はN先生が遊びに来た。民族楽器を集めた祭があって、去年バンコクでやった時にN先生が出てたんだけど、今回は韓国で行われたので出演してきたとのこと。アドバイスを貰おうとアーンナンスーヤイを聞いてもらうと、とにかく速過ぎ、急ぎすぎ、と言われる。これは毎回言われる。

それから、コンケンでのケーン・コンテストの時にN先生が気に入って外に連れ出しきた高齢のモーケーンが自分にはとても興味深かったのでそのことを聞いた。なんだか他で聞いたことが無い独特の心地良い音だったので、あれはテクニックなのかそれとも高齢で力が減って自然にああなったのかと聞くと、「あれは自然だよ」とのこと。あのモーケーンは実はケーン職人でもあるそうで、そのうち会いに行くことも可能だそうだ。また是非会ってみたい。

この日は練習の時からアメリカ人の老夫婦が我々のことをずーっと見学していた。N先生の昔の弟子の両親だそうだ。いろんな弟子がいるんだなー。でもこの定期演奏会などは、外国人の観光の一つとしても結構良いんじゃないかな。

次週は練習はお休み、楽団ごとブリーラムへ演奏旅行の予定。

N先生と老夫婦 video 30sec/1.3MB

2006-10-02

ウォートの滑りを良くする

ウォートの頭の黒い部分。ウォートを吹く時はこれを口の下に当てて軸とし、本体をグルグルと回すことによって音程を変えるわけですが、これの滑りが悪くなってくると滑らかに回らないだけでなく、口の下の皮を引っ張って痛くなったりします。

これを改善する方法をA先生に教えてもらいました。

この黒い部分は、ケーンに使われるヤニ「キースート」と同じ物なんですが、製法が若干違っていて常温ではプラスチックのような硬さになっています。

ですが、同じキースートですから温度が上がると柔らかくなります。そこでまず、写真のようにライターの火であぶります。10秒ぐらい、動かしながら全体に均一にあぶると表面がぶつぶつになってきます。

表面全体がぶつぶつの状態になったら、薄いビニール袋で覆って木へらか何かで空気を追い出し、密着させます。写真ではポンランのスティックを使っています。

熱くなっているキースート全体にビニールがぴったりくっついたら、ビニールの周りの余分な部分を切り取ります。

これで出来上がり。このビニールの膜を付けたまま使用します。そのうち膜が剥げてきますが、キースートの滑りは以前より良くなっているということです。

ただ、自分はウォート自体、あまりまじめに練習したことがありません。慣れていないからでしょうが、非常に息を使って苦しいんですよね。以前自分の隣でウォートを吹いていた高校生が舞台上で立ちくらみして座り込んでしまったことが有りますが、これが自分にはよく理解できる出来事でした。

2006-09-16

定期演奏会

いつも通りの定期演奏会。さすがにポンランはまだ無理なのでケーンで参加。

この日は去年最も世話になったC師匠が何週間ぶりかで来た。綺麗なダンサーと写真を撮ってご満悦。プリントしといてとか言われた。

小ホールの玄関の前という変な場所なので、なんだか見る人が窮屈そう。

最近のC師匠は司会業がすっかり板についていて、演奏会の時は来て欲しいという協会側からの強い要望が有るようだ。この日は元お笑いのS先生と漫才をやっていた。おまけにS先生がカラバオの曲を熱唱。

最近の演奏会は毎回ルクトゥンとかモーラムシンが入っている。そのほうがウケるというのもあるけど、師匠が歌いたいという理由も有るんじゃないかと疑っている。ケーンはリズム入れるだけ、というようなのが多くてあまり楽しくないですね。しかもカラバオの曲とか、どうすりゃいいの?というような感じ。一応始めてやるスタンダード曲も有ったからまぁ良いんだけど。

久々に師匠に会ったので控え室で一発吹いてもらってビデオに、でも30秒だけなので本編に入る前に切れている。この人の息使いは非常に味が有るんだけど、どうにも真似できない。去年「伸ばして、落として、伸ばして」とか随分指導してもらったんだけど、自分は未だに良く分かっていない。

C師匠 : ビデオ30sec/1.3MB

2006-09-02

ポンラン練習中

ポンラン練習中。

2週目というか、家で出来ないから2日目なんですが、難しいです。よくポンランは簡単とか言われるだけど、全然簡単じゃないなー、という感じ。もっとも木琴の類は触ったことが無かったからコツが掴めないというのもあるんだけど。

当面は午前の部で小さい子供達と一緒にのんびり基礎をやるのが良さそう。ちょっと生徒が多すぎて度々輪に入れないんですが。

ポンランはイサーン地方の木琴です(いきなり紹介)。普通の木琴と同じく木が大きいほど低い音ですが、音が低い方を上にしてぶら下げます。現代の標準仕様では13個の音程が有って、低い方から
ミ ソ ラ ド レ ミ ファ ソ ラ ド レ ミ ソ
と並んでいます。中音域にファが有りますが、低温域と高音域にはありません。またシはどこにも有りません。ややこしいです。頻繁にミスして真中のファを叩きますが、とても間違えた感じが強調されます。

何十年も前にこの仕様を考えたのが、以前ここに書いたポンランの発展に尽力して人間国宝となったプルアンさんです。しょうがないですね、文句は有りません。

ポンランは高価で、ちゃんとしたものは一台7500Bもします。良質なケーンが3本以上買える値段ですね。それというのも原料のマイマハートという木が品薄だからです。枯れたマハートの木がそのまま何年も経った物じゃないと良い原料にならないのだそうです。

どうにもまだ勝手が掴めないので以前ここに紹介したポンラン少年チャンプの練習風景のビデオを撮ったりして。新しい曲を覚えている所ですが、楽譜は無く、ピンの音を聞いてメロディーをなぞるだけです。15分くらいで覚えちゃったみたいで、さすが少年チャンプ。

動画: ポンラン少年の練習 (30秒861KB)

2006-08-27

日常に戻る

26日朝、寝台でバンコク到着。アパート で水浴びしたらそのままタイ文化センターへ。

今期はポンランの基礎を習う予定なのに、前回はA先生に注文したスティックのことをすっかり忘れられていた。今回はちゃんと覚えていたようで、写真のスティックをゲット。

スティックはタイ語でマイティーと呼ばれます。直訳すると「打つ木」。美しい形ですね。300Bもする高級品ですから。そんなに良いのじゃなくていいよ、って言ったんだけど。あ、まだ料金払って無いのを思い出した。

練習は始めたけど、まだメロディー追うのもままならない状態。家で練習できないから、まともになるのには時間がかかると思われる。

この日の午後と翌日はディンデーンの『タイ日本運動競技場』で行われている国際若者体育大会みたいな催しへ演奏に行く。若年層の運動選手が各国から来ているようだ。

外人が珍しそうにビデオに撮っているけど、運動選手達はそれほど興味が無さそう。むしろこの区画に入れない一般タイ人の人達が金網越しに興味深く見ていた。

ダンサーも少ないので、事前打ち合わせ無しで気が向いたものを和気あいあいとやるだけ。たまにはこういう気の抜けたのも良いかも。

2006-08-25

村見学

村長の家に泊めてもらった翌朝25日は村を案内してもらう。

田舎で村を見学というと、興味は無くともまず大抵は田んぼに連れて行かれる。苗を育ててから田んぼに植え替えるナーダムと言うのに対し、この村では種をばら撒いて育つまでほったらかしのナーワーンという方式。

自分は田植えの知識は無いので、どの部分が田んぼなのかもよく分からない。

寺の境内にあるゴザ工場で朝食をご馳走になる。おばあちゃん達がいっぱい。

おかずはノーマイゲーン(タケノコのカレー)、パックドーン(香味野菜の浅漬け)、小海老を煮た物、野菜炒め等。ナムプリック・パラーが特に美味しかった。タケノコも都会で食べる、一度漬け込んだものではないそうだけど、自分には味の違いは分からず。

食事の後、広い境内を散歩。魚を養殖しているようだ。プラーニンというバンコクでもよく食べる魚でテラピアの一種なのかな?鯛のような形の淡水魚。これを稚魚からある程度育てたら川に放流する。そして大きくなったら捕って食うそうだ。

朝9時、村長にバス停まで送ってもらう。宿泊費を少々渡そうとしたら要らないというので、ではあの坊さんにタムブンして下さいということで了解。あれ、モーケーンへの謝礼を渡すのをまた忘れた。

そんなわけで朝10時発ソンテウでヤソートンへ1時間、バスでウボンへ2時間弱、ウボン市内で名物ムーヨー(豚肉のねりものでビールのつまみやヤムの材料として美味)を買ったりとうろうろして、夕方2等寝台でバンコクへ向かった。寝台でラオカーオを飲みすぎて気分が悪くなったけど。

前触れもなく行った見ず知らずの旅行者に対して随分面倒を見てくれる、タイの田舎の良い一面だな、と思った。

2006-08-24

ヤソートンのモーケーン

寺の境内でウトウトしていたら村長がやって来たので、ここに来た経緯を説明。そうこうしているうちにモーケーンもやって来た。

ヤソートン、クッチュムのがっちりした体格のモーケーン、チャーンナロン・スゥープスワンさん。

簡単な説明をしつつ、ライヤイ、スッサネン、ポーサイ、いろんな歌と、とにかく吹きまくる。一応mp3プレーヤで録音したけど演奏正味30分ぐらいだろうか。毎度ながら言葉を聞き取るのがしんどいが、徐々に録音を整理していこうと思う。こういう機会がある度に今時のローランドのレコーダーとかが欲しくなる。

チャンナロンさんのケーンはナコンパノム産で竹管に独自の模様が焼き付けてある。最近1500Bで仕入れたそうだ。おそらくナコンパノム産では最高級の部類だと思う。この地方のモーケーンは通常ナコンパノムやムクダハンで仕入れるそうで、どうりでウボンやヤソートンで産地を探すのは難しいわけだ。

このケーンのキーはGm、吹いてみるとやはりAm標準仕様とは違い、非常に多くの息を使う。これはこれで練習しないと全然良い音にならないと思われる。伝統的なモーラム仕様のケーンはGmかFmが多く、職人の腕にもよるが、キーが下がる程に使う息の量は増える。

一時間程してモーケーンは帰っていた。後で気付いたけど、モーケーンに謝礼を渡すのを忘れた。わざわざ来てもらったのに、すまんです。

その後は村長の家に行って、食事をご馳走になる。

村長は自作のエレキピンを持ち出してきた。写真は村長の息子。

ピンを弾く人には自分で作るという人が多い。カヌン(ジャックフルーツかな?)の木を切り出してネックまで一枚板で作る。ピックアップやペグなどはギターの物を使うが、弦は車のブレーキワイヤーをバラしたもの。粘りがあるので切れないのだそうだ。

この夜はてっきり寺で寝ることになると思っていたが、結局村長の家に泊めてもらった。ちなみにタイの田舎では旅行者が宿に困ったら寺に行けば無料で宿泊できる、と昔聞いたことがある。現在でもそれは本当のようだ。

おまけ。村長の孫も、しっかりケーンを吹いています。

ヤソートンへ

ウボンの楽器産地についてはまったく情報が無く、有るかもしれないと噂に聞いたのはヤソートン県のクッチュム群ノンプアイ区というところ。

実際行ってみると、結構遠かった。タラカーンからウボン市内へバスで約1時間、ウボンからヤソートンにバスで2時間弱。ここまで来たところで、そのへんの人にクッチュムに楽器作ってる村が有るか聞くと、「噂は聞いたことがある」そうなので、そこからソンテウで約1時間でクッチュムに到着。

この後ノンプアイに行くわけだけど、既に夕方4時頃だし凄い田舎でゲストハウスは一軒も無いそうだ。そもそも地図を持っていかなかったのでここがヤソートンのどの辺りに位置するのかも知らないなー、なんて思っていたら坊さんが「一緒に行くかね」と話し掛けてきた。ヤソートンのバス亭で自分がそこらの人に尋ねたのを横で聞いていて、同じソンテウでクッチュムに来たので事情を知っていたようだ。それならとお言葉に甘えて、トゥクトゥクでこの坊さんの寺へ。

着いた寺はワット・ナーサベーン、村の名前もバーンナーサベーン。一応目的地のノーンプアイ群の中に位置するそうだ。敷地はかなり広いが坊さんはこの人だけ。

坊さんと話すのはちょっと気を使う。ほとんど坊さんと話したことがない自分は呼びかけるのにも「坊さんに対する二人称は何だっけ」とかいちいち考えていた。

坊さんはとりあえず村長に電話。村長は仕事が終わってから来るということで、寺を案内してもらう。

本堂はなぜかゴザの工場を兼ねていて、6, 7人のおばあちゃん達がゴザを作っていた。ゴザといっても手編みだと量産品よりは高値だそうで、一応この村の特産品のようだ。

坊さんが入っていくとおばあちゃん達がきちっと座りなおして拝んでいた。本物の坊さんのようで安心。疑っていたわけではないんだけど、なんとなく。

ここで分かったのは、どうやらノーンプアンでは職業として楽器を作っている村は無いそうだ。残念だけど村長がモーケーンを呼んでくれるらしい。ヤソートンのモーケーンに会えるならそれもまた良いかと思う。

2006-08-23

再びウボンへ

友人とウボンラチャタニ県の田舎町へ。去年10月、ウボンのモーケーンに会った町。

8月22日バンコク発の2等寝台の夜行列車でウボンに向かう。昔旅行仲間と旅行した時から自分はこの2等寝台が非常に好きで、遠くに行く時は可能な限りこれを利用したいと思っている。特に2等寝台の下のベッド(上のベッドは窮屈)、エアコン車ではなく扇風機が良い。乗る前にビールとラオカーオを買っておく。途中でガイヤーンを売りに来るのでそれも買うべし。他の乗客とだべったりして、1等の個室にはないオープンな雰囲気が味わえる。3等は座席で、これは物凄い苦痛なので3等に乗るくらいならバスで行ったほうが良い。

翌朝ウボンに到着後、バスで更に1時間でタラカーン市に、更にトゥクトゥクで友人宅に到着。さっそくバイクを借りて散策する。途中でネット屋に寄りたくなったので探し回っていたら道が分からなくなり、やっと市場に出たところで警官に呼び止められる。どうやら一方通行を逆走したらしい。

「免許無いです」と言ったら免許不携帯で100Bの罰金、そもそも免許無いんだけどね。最初200Bと言われたけど負けてくれて、領収書も貰いました。サインはmuri、本名じゃ無いんだけどね。

まぁ大事にならなくて良かった。田舎はおおらかということで。

友人宅で一泊して、翌日の帰りの切符までの間に、ウボンの楽器産地を見てみたいと思い、友人に観光事務所や開発事務所(と訳すのか不明)や県庁に問い合わせてもらったが、これが全く情報が無い。最終的に噂として隣県のヤソートンに作っている村が有ると聞いたので、一人で行ってみることにした。

2006-08-19

新学期

文化センターの今年の後期の学期が始まった。

今回、自分はケーンではなくポンラン(イサーンの木琴)で申し込みをしていた。というのも、この施設ではイサーン楽器全般に関して一通りの基礎を習うことはできるけれど、その段階を過ぎるとさほど得るものは無い。ケーンに関してはここで一年以上やったし、あとはもう自力で伸ばすしかないなと常々思っていた為。一方、ポンランについては知識も経験も無いのでここで基礎を習うのが最適と思った次第。ポンランは図体も音も大きくて家で練習できないし。

それで、先月ポンラン用のスティックをA先生という方に注文しておいたんだけど、これがすっかり忘れられていて、しょうがないので初日は一日中ケーンを吹いていた。うーん、何も変わっていない。

午後、先月二度他県にご一緒したN先生の弟子達が見学に来た。去年タマサート大学校庭でやった時に一度だけ会った若者達。来週から毎週ケーンの練習をしにに来るという。変な話だと思ったので「ここでは基礎しかできないよ、意味あるの?」と言ったんだけど、実はまだそういうレベルだったようだ。ポンラン楽団のスタンダードもまだあまり知らないらしい。

それから、去年自分がここに初めて来た時の先生が遊びに来ていた。当時「教えます、任せなさい」と言っておきながら3週間ぐらいでドイツに教えに行ってしまった先生で、今回は一時帰国、またすぐドイツに行くそうだ。「来年帰ったら、外国人だけのポンラン楽団を作るので参加しなさい」とか言っていた。あてにならないなと思いつつ「面白そうですね~、参加しますよ」と言っておいた。

2006-07-29

LAの若者達が訪タイ

ロサンゼルスに暮らしているタイ人の若者の集団が訪タイ、文化センターにやってきて交換演奏会をした。

白い服がその子供達。見た感じ、ほとんど皆タイ語も普通に喋るし、ハーフもほとんど居ないので普通のタイの若者と見分けがつかない。もちろん普通のタイ人と違って流暢に英語を喋るけど。

ロサンゼルスにはタイ式の寺が有って、そこで音楽や舞踊を習っているそうだ。でもタイ中央楽器だけのようで、イサーン楽器は見当たらない。

相変わらず我々の出番は最後。司会業が大好きな師匠はさっそく彼らにケーンの腰振りネタをやらせていた。子供もアメリカで育つとノリが良いというか、自ら進んで笑いを取っていた。

最後の方で若者達と一緒に来た年配の方達が踊りの衣装と化粧で出てきてちょっとビビった。今まであの衣装と化粧は25歳ぐらいまでの人しか見たことが無かったので。

文化センターの音楽部門はこの日で前期の学期が終了となり、来週から二週間お休み。その後、後半の学期が始まります。

2006-07-22

コンテスト続き

そんなわけで音響が悪くて頭が痛くなる屋内会場から出たり入ったりを繰り返していたけれど、そのうちに外の通路で小モーラム大会みたいになって、これはこれで面白かった。なぜか酒も有るし。

会場の外で盛り上がる我々に飛び入りしてきたのは、前回マハサラカムのケーン楽団宿舎でN先生にレクチャーしていた人。自分は大先生だと思っていたんだけど、N先生によると、「そんなたいした人じゃないよ」だそうだ。よくわからない。

ビデオ(1.3MB) 飛び入りで歌う大先生(だと自分が思っていた人)。

N先生の仲間全員の出番が終わったら庭に出てまったり。出場者の中に、N先生がとても気になったおじいちゃんが居たらしく、連れ出してきて演奏してもらったりした。

ケーンの世界はとても年齢層が広い。今回のコンテストでは若者も居るけれど、おそらく大半は40代以上。60代以上だってばりばり現役なのが当たり前で、30代は若造といったところか。

そんなわけで若いプレーヤーは高齢のベテランとはすぐ仲良くなって教えを請うのがごく自然な行為のようだ。

コンテストの結果は、N先生と友達はあえなく落選して、写真左の後輩(18歳)が2位を取った。この18歳はめっちゃうまい。関係無いけど彼の綿のイサーン風のシャツが気に入ったのでどこで買ったら聞いたら、「おかあさんが作った」そうだ。

優勝した人はどんな演奏だったのか、会場から出たり入ったりしていた上に大勢居すぎてわからなくなってしまった。最後に演奏してくれればよかったのに。

全て終了した後、審査員の一人として来ていたモーケーン、ブアホーン・パーチャヲン*さんがリクエストに答えて吹きまくり。

実物に会ってみると…なんだか賢そうに見えない人だ(笑。けど、演奏は当然凄い。

*ブアホーン・パーチャヲン: 1998年度(たぶん)のタイ王国ケーン・チャンピオン。自分はケーンを習い始めた頃にこの人のCDを買ったけれど、どうしてケーンでこんな音が出るのか全く理解できなかった。

朝8時に入った会場を後にしたのは夜8時。主催側の人の車でマハサラカムまで送ってもらうことに。なんと人間国宝プルアンさんと一緒。昔、大阪に公演に行った話とかを聞いた。「一緒にカラシンまで行くかい?」なんて言われたけど、さすがに遠慮した。去年は言葉が全然聞き取れなかったけど、今回は理解できてよかった。去年一度お会いしていることは、プルアンさんは覚えていないだろう(たぶん)。

コンケンにてケーンとモーラムのコンテストを見学

朝3時半、コンケンのバーンパイで降ろしてもらい、N先輩の友達の家で休憩。朝7時半までぐっすり眠ってコンテスト会場へ。

会場はラムカムヘン大学の中だった。コンケンにもラムカムヘン大学があるとは今まで知らなかった。

開会式のあと、ケーンは屋内へ。屋外はモーラムのコンテスト、屋内はケーンと分かれて同時進行する。

こちらはケーンの屋内会場。

よく見たら審査委員長はポンラン人間国宝のプルアンさんじゃないですか。去年のポンランサオーンのコンサートの時、舞台裏の喫煙所でこの方に話し掛けられたけれど、そんな偉い人とは知らない自分は「何言ってるのかわかんないよ」と言ってしまった、あのお爺ちゃん。やべーこっち見てるよ、と一人で焦る。

ケーンコンテストの参加者は34人。ルールは各自がスッサネーン、ライヤイ、好きなもの何でも、の三つを各5分ずつ、合計15分演奏すること。

しかし始まってすぐ思ったのは、これは音響が酷い。音が悪い上に拡声し過ぎで、聞いているうちに頭が痛くなってきた。全部聞きたいのはやまやまだけど、ぶっ続けで聞くことは不可能な程だったので、ちょくちょく外に退避。そう感じたのは皆同じのようで、N先生のグループは出番待ちの間に外で誰かが持ってきた酒を飲みつつ歌ったり踊ったりしていた。

そしてこちらはモーラムの会場。

モーラムコンテストの審査委員長は、先日ここにコメントをくれた方が言及していたモーラム人間国宝のチャウィーワンさん。パフォーマンスもあった。

モーラム審査中のビデオ(1.3MB) 後姿がチャウィーワンさん。

2006-07-21

ナンタルン

コンケンに向かう前に、N先生に連れられてシンラパコーン大学で行われている、ロイエトのナンタルン劇団の公演会場へ。



ナンタルンとはタイの人形影絵芝居のこと。タイ南部で発生した影絵芝居はイサーン地方に伝わり、モーラムと合体して独自の芸能になった。生バンドをバックに人形とセリフによる物語をメインとして、歌や人形の踊りを加えて演出する。使う楽器は西洋式のバンド、タイの中央楽器、イサーン楽器とごっちゃ混ぜ。

イサーン語のみなので自分はいまいち理解できないけど、内容には風刺やギャグがちりばめられているらしく、観客からは「くくくっ」という洩れ笑いが終始聞こえていた。

公演が終わって舞台裏を見学。バックバンドの一人が前回マハサラカムで泊まった時に部屋を開けてくれたN先生の後輩だった。ようするに、この劇団のバスに便乗してコンケンまで行く、という趣向だったと理解。なぜかマハサラカム大学のバスで、あれれ?と思ったけど、とにかくバス代が浮いた。

コンケンへ

先々週マハサラカムへ行ったばかりだけど、今日からコンケンへ行くことになった。

明日ケーンとモーラムの大規模なコンテストが有るので、それを見に行くわけです。前回一緒に行ったN先生も出場します。

凄腕のモーケーン数十人を一日で見られるという、滅多に無い機会なので楽しみ。
07/23 訂正: 最初マハサラカムと書いたけど、コンテストが行われるのはコンケンでした。

2006-07-06

ケーンで合奏

結婚式から旧宿舎に戻った我々は、ひたすらケーンの合奏。ケーンの合奏に合う曲をいろいろ教えてもらう。どれも古風でケーン楽団に似合うメロディーだ。

そういえば普段はポンラン楽団でやっているのでケーンと太鼓だけで合奏するのはこれが初めてだったけど、とても心地良いものだと知った。


盛り上がってきたところで外に場所を移す。昔のケーン楽団の感じを出すためわざわざ服装も古風にする。といっても単に裸にパーカオマーを巻いただけだけど。

2時間ぐらいやったら疲れたので昼寝。夕方N先生と自分はバンコクへ向かった。

今回はほぼ全ての目的を果たせた上に、いろいろ貴重な体験をさせてもらった。マハサラカムには、また来ることもあると思う。

ケーンで合奏 (mp3,0.6MB) 曲名は聞き忘れたけど、かなり昔の歌で歌詞もあるらしい。

2006-07-05

イサーン式結婚式

翌日はN先輩の友達の結婚式へ。

イサーン地方の伝統的な結婚式のスタイルで、新郎は奇声を上げたり踊ったりする人々の行列と共に花嫁の家にやってくる。行列はケーンや太鼓等の楽器とモーラムが先導し、布団と枕を運んで来る習わしとなっている。


花嫁の家に到着した我々は花嫁の家の前で演奏を続ける。

伝統としては、花婿は家の中に入り、しばらくは花嫁の家族と一緒に暮らすことになっている。

花嫁の家の前にはこじんまりとしたモーラムのステージ。結婚式にモーラム団を呼ぶのも割と一般的な風習で、盛り上がってきたら来客はステージの前で踊る。

その舞台の上でモーラムの伴奏をする花婿。花婿はN先生と同じく、元ケーン楽団の団員なのであった。

その後数時間飲み食いして帰った。飲み食いして踊って、と全く肩のこらないイサーン式の結婚式は良い風習だと思う。

せっかくなので記念に日本語で記帳しておいた。

ビデオ(1.2MB) 花婿の行列。