2009-02-28

シーロム・CPタワーにて

2月27日(金)、子供楽団はシーロムのCPタワーへ。

タイの財閥企業、ヂャロァーン・ポーカパンのビルですね。風俗街として有名なパッポン通りの向かいです。それにしてもシーロムの歩道はデコボコだし混雑してるし、ほんとに歩きにくいですね。

そのビルの前に舞台を設置。敷地が狭過ぎて客席の半分は階段の上です。タイ舞踊の後、我々のポンラン楽団。

この辺は日本人が多いということでちょっと喋らされました。司会がタイ古典の先生でかなり不慣れな様子。これに自分の受け答えが全く噛み合わない。途中、何言ってるのか分んなかったりして。日本の方居ますかー?とか聞いたら「おー」とか帰ってきたけど、それ以上何喋れば良いのか分らず。何にしても喋るの下手なんだから毎回突然振るのは止めてほしいところ。この近所のタニヤの話でもすればよかったかな?

内容はショーウォン、オーンソーン・イサーン、ソァーン・ポンランとごく普通。人が足りなくて自分はベース担当でした。ベースは全然練習しないので相変わらず下手糞です。また指先が水ぶくれになって痛いですよ。

今日のナーンラム。

2009-02-21

DSIにて

2月20日(金)はジェーンワタナにあるDSI(法務省特別捜査局)の宴会に参加。


思ったより大きいビルです。DSIは権力者や警官等の、通常のタイの警察の捜査が及ばない事件の捜査を専門にする機関でして、その名前はタイのニュースではほぼ毎日出てきます。一方では人権団体や環境活動家とよく敵対する存在でしょうか。

普段我々がここに来るような機会はまず有りません、入るのにちょっと緊張しますね。まぁ以前の首相官邸でやった時ほどではないですが。

そのビルの一室でリハーサル、部屋が狭いです。今回はそのDSIの人々が舞踊に挑戦ということで、我々はそのお手伝いに来たわけです。彼等はイサーン舞踊の経験は皆無、事前の練習は先週に一度だけだけで、その時もお手伝いしました。

宴会場は近所の運動場、この日の昼間はここで運動会をやってました。宴会はごく普通の円卓に中華料理です。小さいステージで出し物はソァーン・ガポ(椰子殻の踊り)とカイモットデーン(赤蟻の卵)をメインに。DSIの皆さん、真面目に一所懸命踊ってました。

後で料理を頂いたので歌とか劇とかの他の出し物を見物。

こちらは時事ネタの劇。

連合同盟が棍棒を持って衝突。各派の親分の役が出てきて話し合ったりして。おいおいという感じ。
最後は何故かDSIの力を持って和解、という有り得ない展開で笑わせてもらいました。

おおらかと言うか何と言うか、いかにもタイらしいですね。

2009-02-08

プラタートパノム寺へ

ムクダーハーンに戻り、ここからバンコクまで直帰しようかと思っていたけど、ちょっと小耳に挟んでいたナコーンパノム県のお祭りが気になってきた。これを見に行くことにする。

ムクダーハーン県中心郡からメコン沿いに北上、ナコーンパノム県に入り中心郡へ行く途中にあるタートパノム郡のプラタートパノム寺 วัดพระธาตุพนม へ向かう。30kmぐらい、バスで26B。

タートパノム祭りはナコーンパノム県の有名な祭りで、今年は1月下旬から2月10日まで行われている。寺の祭りだから当然お祈りに来てタムブンするが主目的だけど、期間中は仏塔が有る寺を中心に半径100m以上(目測)の範囲に小さな店がびっしり広がっている。

イサーン楽器屋も少なくとも十軒以上有った。見た限りでは全てナコーンパノム産のようで、どの店もそれほど変わり映えはしない。おそらくほとんどが有名な生産地、ナコーンパノム県ナーワー郡の製品と思われる。

ここでなんとなくウォート(キーAm)を購入。ウォートの良し悪しは分らないけど、見た限りでは音はきっちり正確だし値段もかなり安い。ウォートはまだ下手糞なので、これで子供達と練習すれば自分には丁度よいかな。

あと被っている帽子がもうボロボロのビリビリでいろんな人から貧乏臭いと指摘されるので、適当に45Bのを購入。衣料類はやはり、それほど遠くないムクダーハーンのインドシナ市場に有ったものと同じような製品が多いように見える。が、インドシナ市場で買ったのと同じサコーンナコーン県製の服が10%ほど安く売られているのを発見してちょっと悔しい。まぁ110Bが100Bで売られてただけですが。先ほどこれをたけ直しに出したら50Bって、おいおい。なんていちいち書いてるとケチ臭いですか。100Bって今は300円以下だっけ。

この辺りをケーン担いで歩いていると楽器屋の人に吹けと言われるので吹きまくる。さらにそこで扱っているナコーンパノム産のも吹いてみろと言われるので吹く。どう考えても調律が合ってないので僭越ながらダメ出ししたりして。まぁ売ってる人も当然分ってますが。とは言え、普通なら修理に出さないと使えない状態です。

それと、ナコーンパノム製によく見られる、ドローンのリードが一つの管に2枚入っているという特徴があるけど、これが響き過ぎると自分には感じます。ナコーンパノムの量産品はやはり自分には合わないなぁという感想。もちろん個々の職人を知らないのでナコーンパノム製を一括りにはできませんが。

数時間寺や店を見て満足したので、幹線道路まで出てバスステーションまでの数百メートルを歩く。名産の芋(マンゲーオ มันแกว)を売る無数の屋台が、「いったい何トン売ってるの?」というくらい道端を埋め尽くしている。辞書にはヤムイモとあるけど合ってる?*1皮を剥いて生で食べられるので試食すると、みずみずしい果物のようでかなりうまい。荷物が少なければ買いたかった。

バスターミナルに着くと、6時発の最終バスにぎりぎり間に合った。贅沢にVIPバス801Bで、ほとんどぐっすり寝つつ翌明け方にはバンコク到着。そんなわけで、十日ぶりに帰宅した。

今回は行きたい所があと三箇所ほど有ったけど、バス旅行となると、バックパッカー経験も無い自分には十日ぐらいが精一杯かなー、と感じた次第です。


楽器を鳴らしながら行列で本堂の周りを廻る。イサーン地方のどこでも見られる風景。


追加091118:

*1 訂正: 在タイの料理研究家の方によるとヤムイモとは違うそうです。
マメ科クズイモ属 メキシコ原産。日本語で、クズイモ、ヒカマ(Jicama)、英語は YamBean ですが、ヤムイモとは違います。梨に似て生で果物のように食べられます。
とのこと。

2009-02-07

サワンナケートへ

(続き)

一通り市場を見たので船着場へ。窓口に行ったら、外国人はここの渡し舟で渡って出入国手続きは出来ず、国境橋へ行かなくてはならないと知る。これはショック。船着場から橋へ直接行くのは逆に高くつくということで、結局バスターミナルへ戻って国際バスで橋を渡ることに。トゥクトゥク40B+国際バス45B+ラオス入国時40B。ラオス入国時になぜか40B取られるが、これは出国時も同様だった。

国際バスは橋を渡ってサワンナケートのバスターミナルへ。例によって地図も無いし、どこに泊まるべきか全然分らないので、とりあえず「メコン川どっち?」と聞きつつ川を目指して歩く。途中ゲストハウスはちらほらとまばらにあるけど、やっぱり川が見えないと。川岸に到着してそこらのおじさんにゲストハウスどこ?聞くと、これだよと川岸に看板も出てない宿が有った。

これが、女性ばかり5人ぐらいの家族がやってる宿で、外からは見えなかったけどかなり良い感じ。

中庭にアンティークな牛車が有って、川にせり出したベランダがまた良し。ちょっと宿泊費は高いけど、静かな隠れ家的雰囲気で気に入った。ただし、この時はまだオープン準備が整っていないから扇風機部屋が有ったけど、やがてはエアコン部屋のみになってしまうので、将来宿泊費はさらに高くなるそうだ。


サワンナケートの街

街といっても地図も無く歩き回った範囲だけ。おかげで迷いまくって歩きすぎた。

街は埃が多いけど道幅が広くてすっきりしている。しかし、なんだか吼え犬がやたらと多い。歩いていると吼えられまくる。布袋を振り回して追い払ったり、してもまぁ吼えるのを止めないけど。

ビエンチャンでは見られなかった光景として、あちこちの道路で若者がバイクでひたすら走り回っている。もしかしてこれが一番の娯楽なんだろうか。それと、夜の公園では多くの若者達がヒップホップ系のダンスの練習をしていた。ネット上で見ていても、なぜかラオス発の音楽にヒップホップ系が多く感じられますね。ムクダーハーン同様、色白の女性が多いようです。実際に多いのか、そっちばかりに目が行くのか分らないけど。

物価はビエンチャンと同様、食事が高い。普通のアーハーン・タームサンが40~50B等。店のおばちゃんによると、とにかくなんでも対岸のタイから買うから高くなるんだそうで、米さえも対岸から買ってくる。米はラオスでも作ってるけど、品質の違いが無視できないほど違うんだそうな。

細かいことだけど、ビエンチャンでは川沿いでしか使えなかったTrueの携帯が、川からかなり離れても普通に使えた。ゲストハウスのケーブルTVもTrueのサービスだったし、ラオス内にも基地局が有るのかな?

のんびりしただけ

この隠れ家的なゲストハウスはかなり気に入った。川岸のテラスでメコン川を見ながらケーン吹くのが気持ち良い。ゲストハウスのおばちゃんがリクエストしてきたり、おかげでコーヒーが無料になった。

当初、サワンナケートでは土地のモーラムを探してみようかと思っていたけど、そうなると街の外に行く必要がある。バンコクを出てからカラシンの祭りとかで既に十日になるので、ここで二日間のんびりしたところで一端切り上げることにした。まぁ川岸でリゾートしたような感じでよかったかも。外と隔離されているのでプライベート・リバーサイド、みたいな。

ゲストハウスのおじさんがソンテウでバスターミナルへ無料で送ってくれた。来たのと同じ国際バスでムクダーハーンへ戻る。


サワンナケート、椰子の木陰に何故か佐川急便のトラック。

2009-02-06

ムクダーハーンへ

これは、単なる旅行記。

ムクダーハーンへ

2月2日(月)、カラシンの催しが終わった翌日、ラオスのサワンナケートを目指すことにする。午後というか、だべってたら夕方4時になっちゃったけど、カラシンのバスターミナルからムクダーハーン行きの普通バスに乗った。

バスはソムデット郡、クチナーラーイ郡と通過してムクダーハーン県に入り、6時頃モーラム・サーリーの家のあるノーンスーン郡を通過。ここは丁度一年前にプータイ式ピクニックを体験した場所。ここから先へ行くのは初めて。

夜7時、ムクダーハーン中心郡に到着。即座にインドシナ市場(タラート・インドーチーン)へ向かい、周辺のゲストハウスに適当にチェックイン。これは当初は渡し舟で国境越えできると聞いていて、翌日ラオスに行くのに楽だと思った為。後でこれが間違いだと分ったけど。

夕方市場(タラート・ラートリー)

インドシナ市場を探索しようと思ったら、店がやってるのは朝5時から午後4時ぐらいまでだそうで、近くの歩いて行ける夕方市場へ、飯とビールを探しに行く。ここらの屋台では食事と少々のテーブルは有るけどビールはそこらのコンビニで各自が買って来るんだそうで。まぁ返って安くつくけど。

この辺ではベトナム系女性が割と多く目に付く。とにかく白いので。そんなわけで、特に綺麗なベトナム系の女性が作るベトナム料理屋台でカノム・パークモーを注文。既にそこでビールを飲んでいた人と相席したら、その女性の父親だった。

このお父さん、コーンチームーン・プロジェクト(โขงชีีมูล)の一部署でメコン川流域の水害対策をやってるそうです。 -- โขงชีมูล - Google -- コーン・チー・ムーンはそれぞれイサーン地方を流れる代表的な川の名前ですね。主に情報収集の仕事で20年間関わっているそうで、とにかく何をやるにも予算が足りないとか。いろいろ興味深い話を聞けた。つまみをご馳走になったりして。

なんか、ムクダーハーンのベトナム料理は美味いですね。そういえばゲストハウスのTVもベトナム語チャネルが多かった。

インドシナ市場(タラート・インドーチーン)

翌日、インドシナ市場を探索。ぱっと見た感じでは、やはり中国製っぽい製品が多い。バンコクとは毛色が違う物も結構見られるけど、それぞれの店でそれほど変わり映えがするわけでもなさそう。ディスカウントショップ用の大量買付けとかには良いのかな。

このインドシナ市場、船着場の地下の川沿いの長い通路にも店が並んでいてちょっとしたショッピングモールになっている。それも思ったよりかなり長い。看板が無ければ入り口に気づかないところ。

ここらのCD屋を見ると、先日カラシンで会ったモーラム・ポムホームの物がいっぱいある。何しろ、「ムクダハン、ナコンパノムのメコン流域では知らないものは居ない」、だそうですから。あと目を引くのがモーラム・ブンロームのVCD。ゴザに座って男女掛け合いでラムをするスタイルがとてもラーオ風。

その辺りの人に聞くとやはり、「モーラムといえばドーンターン郡」、という評判だった。ここからメコン沿いに南下すれば即座に行けそうではある。今回は行かないけど。

たっぷり市場を見たところで、サワンナケートに渡ることにする。

2009-02-05

カラシン・ミュージック・フェスティバル-2

(続き)

今回のイベントではこの家でプータイ族のおじさん二人が実際に楽器作りを実演しました。ポンラン職人でピー・プータイ(プータイ族の笛)演奏家のポー・メークさんと、ケーン職人のルン・テムさん。ルン・テムさんは22歳から現在の77歳までケーンを作り続けていますが、まだその作品に満足できないそうです。

自分としては、ケーンの竹管の交換作業を一通り見ることができたのが嬉しいですね。竹の節抜きと焼き伸ばし、銅版をを叩いて伸ばして切込みを入れてリードにして竹に装着、調音用の穴開け、という一連の作業を一度に見る機会はそんなに無いんじゃないかと思います。お二人とも根っからの職人という感じでイベント中、演奏以外はずっと作業をしていました。

今回のイベントの目玉、モーラム・ポムホームとモーラム・サムリー。目の前でラム・プータイをたっぷり堪能しました。

しかし途中でN先生がメインステージ側に強制連行された為、ラムの途中からいきなり自分が代わりにケーンを吹かされたりして。「これはやばい」とびびりまくりでしたが、まぁ良い経験になったということで、恐縮です。

こちらはヤーンタラート郡の学校の子供達。

彼等とは一年近く前にポンラン・コンテストの為に一緒に三日間合宿しましたが、今回もこの期間中はずっと一緒に寝泊りしました。さすがに子供達は成長著しいですね。

最終日、メインステージでのモーラム・サムリーとモーラム・ポムホーム。

楽団は伝統的なプータイの楽器だけでの構成です。プータイ音楽のこういう実演は、カラシン県では初めてではないかということ。

期間中は他にも伝説のバンド、カラワンとか、世界各国からのミュージシャンとか、たくさんの出演者がてんこ盛りでした。

イベントが終了して解体中のバーンプータイ。組み立てに三日掛かったのに対し、分解は4時間程とあっさりです。

また次のイベントに向かうのかどうかはまだ未定ですが、最終的には博物館としてカラシン県内に常設するというのがN先生の考えのようです。

モーラム・ポムホーム-サクンタイ หมอลำผมหอม สกุลไทย

タイ全土ではあまり有名ではないかも知れませんが、ムクダーハーン、ナコーンパノム等のメコン川流域では知らない人は居ないといわれる 「パヤー ผญา」 の語り手だそうです。

モーラム・ポムホームが住んでいるムクダーハーン県ドーンターン郡はラム・パヤーの発祥地と言われているようです。

おまけ:
マヨームを捕る子供達。

一本の木にこんなに大量になるんですね。よくヤードーンのつまみに食べますが、どうりで安いわけです。というかバンコクではほとんど無料で出してますね。

彼等と田んぼの魚を捕りに行きましたが一匹も捕れず、結局近所の人から貰って来ました。

2009-02-04

カラシン・ミュージック・フェスティバル-1

CWP(セントラル・ワールド・プラザ)前広場でのコンサートが終了した1月25日(日)、展示してあったバーン・プータイ(プータイの家)を数時間かけて解体。トラックに積んで次の会場であるカラシンへ向かう。

たいした量じゃないように見えてもトラックと積荷の全重量は7トンぐらい。これが酷く乗り心地が悪いんですが、他の大工さん二人は荷台のハンモック。座席とどっちが楽かは微妙。

12時間ぐらいかけて翌26日の夕方、目的地のクットナムキン公園に到着。荷降ろしを手伝いましたが、きついです、普段全く体を使わないので。

そして3時間ぐらい経ってまた来たら、骨組みと床が出来上がってました。結構早いですね。大工さんは作るの二度目だから既に慣れてるのかな?

二日目、三日目と、まぁ順調ですが、プータイの様式として拘るべき細部が増えてくる為、さすがにペースが落ちます。まぁ拘る部分は拘り、どうでも良い部分は適当、という感じなんですが。

四日目、イベント開始日の1月30日に丁度完成。

前回よりも縁側が拡張されています。その屋根板は数十年間実際の家で使われた、虫食い後がいっぱいの板です。運ぶのが大変でした。

大工さんは飲み水の壷を置く台の形が気に入らないとかで、三回ぐらい作り直したりして。なぜか皆、この水を柄杓ですくって口に含み、家の外に向かってぶーっと吐き出します。そういう習慣なんでしょうか?

家の中にはポンランの父、故プルアン先生の偉業を称える写真や著書を展示してあって、誰でも入って見学できるようになっていました。

無くなる直前まで、自分もそのうちプルアン先生の実際の家を訪問するだろうと思ってたんですが、その前に亡くなってしまいました。そんなわけで、なんだか今訪問しているような感じ、かな?

今回はこの家と数百メートル離れたメインステージの二ヶ所で三日間、カラシン・ミュージック・フェスティバルと題して公演が行われました。
(続く)