2008-02-15

ポンラン楽団のリズム

ポンラン楽団の音楽はイサーン音楽の中でも分かりやすいので子供からお年寄りまで楽しめるのが特徴だ、とよく言われます。実際自分もそう思うんですが、分かりやすいというのはやはりその単純さから来るものと思います。どの辺が単純なのか見てみます。

曲の構成の単純さ

通常ポンラン楽団の演奏は舞踊とセットになっているので、演奏は踊りの構成に沿ったものになります。例えばプータイ・サームパオ(プータイ3民族)の演奏なら、最初にサコンナコンのプータイ族を代表する旋律(もちろんポンラン楽団向けにアレンジされていますが)でその民族衣装と踊りが見られ、次はカラシンのプータイの旋律と舞踊で同様に、そしてナコーンパノムで同様に、という三部構成になっています。そしてその演奏内容は、一部ごとに一つのテーマが延々と繰り返されるだけですから、聞いている人は各部が終わる頃にはその旋律を覚えてしまっていることでしょう。

合奏法の単純さ

ピン、ケーン、ポンラン、ウォート等の楽器がほとんどユニゾンで演奏するので、テーマが伝わりやすい。もちろん同じテーマでもそれぞれの楽器に独特の味付けが有りますから、まったく一致するわけでは有りませんし、ケーンは旋律と同時に和音でリズムを刻みますからバッキングのような役目もあります。それでもこれらの楽器が同一テーマを同時に演奏するので聞く人がテーマを理解するのがとても楽になります。

コードの単純さ

本来の土地の音楽には西洋音楽でいうコードという考え方は無いんですが、現代のポンラン楽団はベースギターを入れるのが主流です。そしてベースが入ると自然と西洋のコード進行の概念が入ってきます。つまりイサーン楽器の楽団にベースが入った時点で、既にイサーン音楽と西洋音楽の概念が合体している、と言って良いと思っています。しかし使われるコード進行は非常に単純で、そのベースラインも大抵はルートと五度だけです。これがまた単純さを強調して理解し易すく感じさせる点です。

ポンラン楽団のリズム

リズムはどうでしょうか。自分は太鼓を練習した経験がないので、よく分からなかったんですが、やはりポンラン楽団の他の部分と同様、リズムも単純だと言われます。しかし、いつも聞いているからといっていざ太鼓を叩いてみると、どうやるのかさっぱり分からない、というような経験が何度か有ったので、今回は周りの人にちょっと聞いてみました。この機会にちょっとまとめてみます。

写真はポンラン楽団でよく使われる太鼓。長いのがクロンヤーオ(胴長太鼓)、大きいのがクローントゥム(バスドラ)で、どちらも手で叩きます。

まずクロンヤーオですが、叩き方の基本はコンガ等の西洋太鼓のような複雑さは無く、指をそろえて叩いてすぐ放す「ポーン」という音と、指を開いて叩いたらそのままホールドする「パッ」という音の2種類だけです。

そのリズムパターンですが、「4種類だけ覚えておけば良い」のだそうです。このさいだから、のリズムパターンをここにまとめておきます。通常は音程の異なる太鼓を4つ使いますが、ここではパターン化しやすいように一個だけで叩いた場合に単純化します。

図はまず自分が聞いた感じで一番特徴が分かりやすいスァーン(เซิ้ง)のリズムをクローンヤーオ一個だけで叩いた場合です。黒丸の音符が「ポーン」で×の音符が「パッ」です。口で言うと「ポーンポパッポンパッポンパッポン」という感じで、この小節を繰り返します。そういえばもう長いことパッポン行ってないです(無関係)。

クローントゥム(バスドラ)の方はこんな感じ。「ドーンドーンドンドンッッ」です。クローントゥムはオープン(叩いてすぐ放す)で叩くことはほとんどなく、基本的にはどの音も手のひらで強く叩いてそのままホールドするだけです。

二種類の太鼓を合わせるとこんな感じになります。上がクロンヤーオで下がクローントゥム。スァーンは太鼓音痴な自分でも非常に特徴がわかり易いですね。いかにも田舎の踊りにマッチしそうです。スァーンポンランに始まる多くのスタンダード曲で使われます。

こちらはトァーイ(เต้ย)のリズムです。同様に上がクロンヤーオで下がクローントゥムです。最後の音から数えると「ッポポンポンパッ ッポポンポンパッ」ですね。昔からあるケーンとモーラムだけのラムトァーイや、ケーン独奏のラーイトァーイ等、どれも古典としてはもっとも溜めのある強いリズムで、その感じが残っている気もします。トァーイタマダー、トァーイコーン、トァーイパマー等はポンランスタンダードの代表格なので聞く機会がもっとも多いんじゃないでしょうか。

これはサームチャー(สามช่า)のリズム。ラテンのチャチャチャから来ていると言われることも有りますが、ポンラン楽団のスタンダードでは古くから有ったようなので、実際のところはわかりません。

プータイのリズム。上述したプータイ・サームパオ等で使います。もちろんポンラン楽団向けにアレンジされているので土地の音楽としてのプータイとは結構異なるかもしれませんが、そのリズムの特徴は残しているんじゃないでしょうか。

ポンラン楽団の太鼓のリズムは、これら4つの基本を覚えておけば良いということです。やはり単純と言って良いのかな?とは言え、やはり太鼓の練習経験が無い自分には覚えにくいんですが。

ところで上に挙げたのは各リズムパターンのポンラン楽団での一例ですが、楽団の形態が異なれば、やはり異なって来るようです。

例として、こちらはウォンクロンヤーオ(胴長太鼓楽団)のトァーイのリズムです。地方の祭とかでは十数人とか30人とかで叩きます。「パッッ パッポン ポポンポポンポン」という感じでしょうか。ポンラン楽団のリズムとは随分違うような気がしますが、共通点はあるんでしょうか。太鼓音痴な自分にはわかりません。

2008-02-12

ケーン楽団の集い

2月9日のマハサラカム大学ケーン楽団宿舎での年一回の集会に参加するため、再びマハサラカムに向かう。去年も参加したけれど、この集会には歴代の楽団員以外にもいろんな人が集まるので興味深い。

前日の夕方モーチット・バスターミナルへ。最近度々来ていてターミナルビルの中は飽きたと思い、待ち時間の間に外の飯屋に入ってみたけど、これが失敗。調子の良い呼び込みに釣られて入った店のまずいモツ煮がなんと120B。店の前では公然とわざと嘘の値段で客を呼び込み、会計でびっくり、なんていうぼったくりに引っかかってしまった。こんなことはタイでもここ数年無かった経験でした。おとなしくターミナルビルの中で飲み食いするのが正解でしたね。

今回は夜9:30発のルンプラサート社のVIPバス。これは乗ったら食事が出て、コラートでも休憩が無く、朝4時前にはもうマハサラカムに到着。また到着が早すぎたけど、モーケーン・レック君がバイクで迎えに来てくれたのでケーン楽団宿舎へ。

レック君達は前日深夜に到着して酒を飲みつづけていたところで、バイラーンを読みながら内容を説明していました。バイラーンとは古文書の一種で、説法や物語を竹や椰子の木で作った紙に記述したもので、いわばモーラムの原点でもあります。民族の言葉を古文字で記してあるため、普通のタイ人はまず読めませんが彼はすらすら読めるだけでなく書くこともできて、彼のノートには古文字がびっしりと書いてあります。

こういう古文書はラオスの国立図書館では見たことがありますが、中身を見るのは初めてなので写真をとっておきました。こんな物がなんでここに有るのか聞いたら、お寺から借りてきたそうです。ほいほいと借りてくるような物では無いと思うんですが。

夜が明ける頃から起きてきた人も加わり、日が沈むまではひたすら飲み食い、楽器や歌、寝るの繰り返し。まったく気を使わない感じが良いですね。


夜はお坊さん5人とプラーム(神主)を招いてタンブンと、お馴染みバイシースークワンの儀式。毎回お経の時に口パクしてるのもナニなので、ちょっとぐらいお経を覚えた方が良いんだろうか、なんて思ったりして。バイシーは堅苦しくなくて良いですね。手首に糸を巻いて祝福し合う習慣は、気になる女性と友達になるきっかけとしても良いんじゃないでしょうか。

そして屋外で宴会。若手モーラム・P君がひたすら歌いつづける間にモーケーンが次々と入れ替わるという珍しい状態。モーラムは少ないけどケーンを吹ける人はここにいっぱい居るのでした。

明け方の到着後からひたすら飲み食いしていたので自分は夜中1時ごろには小屋の軒先の寝床へ。歴代の先輩達が歌うのを聞きながら就寝。この時期はバンコクとは気候がはっきり異なっていて、夜は冷え込みますが毛布2枚で何とか耐えた。朝5時頃にはケーンの音で目が醒めましたが。

翌日もまたお坊さん達が来て前日と同様の儀式。去年同様、ケーンの合奏に参加させてもらいました。ケーンを吹いている変な日本人が興味深いせいか、モーラムのおばさんにじーっと見られちゃいました。

これで一通りの集会は終わり。この日も夕方まで皆酒を飲みつづけていましたが自分はもうさすがに飲めなかったので町の中心での赤十字のお祭へ買い物に。ンガーン・ガーチャートと言ってバンコクでも同様の大きな祭があります。プータイ風の服を買うつもりだったんだけど、そういう出店はほんのちょっとしか無かったので諦め、布袋だけ買いました。残念。

楽団員の一人の勤務先である博物館で休憩後、夜行バスでバンコクへ向かって今回の小旅行は終了。


おまけ。楽団宿舎に有ったイサーン地方の嗜好品であるビンロウ(マーク)と煙草のセット。酒とこのビンロウで二日間、酔っ払い続けていた人も居たようです。煙草を巻くのはバナナの葉から作ったバイトーン、これはバンコクには無いということでお土産に貰いました。後でバンコクにて煙草の葉だけ買ったら、数ヶ月分はもちそうな分量で5バーツでした。普通の煙草は20本で40バーツ以上します。ということは、税金はタバコの葉の分量に掛かるわけじゃ無いようですね、不思議です。

[080310追記: 上記のバイラーンとバイトーンの名称がごっちゃになってしまっていたので修正しました。]

2008-02-03

人類学センター・シリントーンにて

ムクダハンからカラシンに戻って一泊した後、マハサラカム大学の博物館へ。ケーン楽団の一部メンバーも一緒に、ここから送迎のバンに乗ってバンコクへ向かい、今回の4日間ほどの旅行は終了となりました。

到着したバンコクのピングラオのホテルにて一泊後、29日(火)はこのすぐ近くのシリントーン人類学センターへ。ここでは去年の6月にアメリカで行われた世界最大の民族万博と言われるスミソニアン・フォークライフ・フェスティバルの成果報告会と討論会が行われました。去年の壮行会でもここに来ましたが、もう半年以上経っての報告会です。

内容は成果報告や問題提起のプレゼンと討論会で朝から夕方までびっちりでした。特にベトナムの文化庁の役人と学者の人のプレゼンでは、民族博の前後を詳細に取材したドキュメンタリー・フィルムまで上映しての、かなり力の入った報告でした。この民族博の為の資金はタイ国への割り当てだけでも2千万Bが注がれているほどで、普段細々と活動していて今回いきなりアメリカに呼ばれたベトナムの民俗芸能家にとっては大きな影響だったようです。やはりスミソニアン基金の威力は凄いんですが、ぶっちゃけて言えば、文化活動と言ってもこういうことに資金を注ぐのには国益も考えた上での戦略的な意味が有るのでしょう。こういう所に日本の政府とかには理解のできないアメリカの国策も見え隠れしているように感じます。

ところでタイの運営者のプレゼンも上手ですね。見ていると最近はビデオ映像をふんだんに、まるでスライドショーのように使う手法が流行っているようでした。発表者の多くがMacBookを使っています。なんだか時代の変化を感じますね。

朝から夕方までびっちりの発表と討論会が終わったらとりあえずパフォーマンス。自分はアメリカ遠征のメンバーじゃなんですが、ケーン楽団の楽団員ということで何故か参加。マイク持って下手なタイ語を喋ったりして。他のモーラムのパフォーマンスが盛り上がる度に乱入したりして面白かった。

こちらはやはり民族博に参加したモーラム・クリッサナーとモーラム・サムアーンのラムクローン。今回の経験を全てラムで語る、堂々としたパフォーマンスでした。ケーンを吹いているモーケーン・アーチャーもケーン楽団宿舎で何度か会っているんですがこれがまたうまい。モーラムの伴奏は普通の楽器演奏とは違う技術が要求されます。この人酔っ払うとめちゃくちゃですが。


報告会が終わってもモーラムは止まらず、会議室出口で延々とやり続けています。写真は先月SETでのコンテストに出ていた天才学生モーケーンのレック君が伴奏しています。

この前の晩、宿泊ホテルでこのレック君と最後まで残って酒を飲んでたんですが、彼の話は非常に面白い。タイの古代文字のアクソン・タンマとかランナー、ランチャーン文字とかをすらすらと書いて、どこの綴りが違うかとか説明しちゃうんですね。昔タイ語を習ったときに自分が聞いてうっかり信じてしまった、「イサーン語には文字が無い」とかは全くの嘘で、政府が統治の為に長いこと使用を禁じて、それらの文字は無かったことにされてしまったのだとか。実際大学では教わらないけどレック君は自分で勉強しているようです。他にもラオスもタイも楽器ラナートやコーンを使うのにラオスではこれにケーンが加わるのにタイは加わらないのは何故かとか、そもそもラナートとかのタイの中央楽器や王室芸能のほとんどはインド・クメール文化から来たもので王室文書だってクメール文字だとか、過去のタイ王朝がモーラム、ケーン等のラオス文化を法律で禁止してまで必死に否定して来た事とか、いろいろ面白い話が聞けました。全然関係ないけど日本企業がタイのブランド米のホームマリを勝手に特許登録したとか言ってたけど本当ですかね。

この会議終了後の深夜、我々はラートプラオのケーブルTV局「タイTV(TTV)」で出演しました。聞いたところでは火曜と木曜に生放送の地方の音楽を扱う番組だそうです。タイTVってたしかアパートのケーブルTVで見ていたような?と思って後で探したら、自分のアパートではそのチャネル自体は無くて、ネーションTVの画面にこのタイTVのロゴが出ていました。どういう関係かわからないけど、ネーション系列のようですね。局の人に「日本語べらべらっと喋ってからタイ語で自己紹介」と要求されて、まぁ趣向は分かるので一応その通りにやっておきましたが、電波で下手糞なタイ語を喋ってしまいました。

[追記 2-17] ブアラバット楽団広報によるこの日のレポート(タイ語のみ)。

2008-02-02

プータイ式ピクニック

旅行三日目はムクダハンでのピクニックに向かう。

マハサラカムのケーン楽団のメンバー数人とカラシンに戻って一泊した後、業務用ソンテウに乗り込みムクダハンに向かう。作ったばかりのピー・プータイやピンももちろん持っていきます。

目的地のノーンスーン郡に向かう間、道中に点在するプータイ族の村に寄っては一人二人と今回の参加者を拾って行きます。みんな結構年配でプータイの楽器や歌ができる人達です。左のおじいちゃんは自作のピンを持ってます。ピックアップが付いているセミアコースティックのような感じ。村ではあちこちで蜂蜜酒を振舞われました。甘いカクテルのような飲み物で、結構うまいですね。

ピクニック会場は乾いた田んぼにぽつんとある建物。プータイ式ピクニックとして、まず最初に行うのは魚を捕ること。

フナのような魚やナマズは網で池をさらって捕り、めだかのような小魚(プラーシウ)や小エビ、貝類は浅い池を泥で堰き止めて網を張った穴で水を越して捕る。池の片方の水が無くなったら泥を掘るとまた出てくるので、潮干狩りみたいな感じで楽しい。食べられない魚は?と聞くと、とにかく田んぼの魚は全部食えるそうです。ほんとうかいな?

小魚はラープに、小エビはコイに、大き目の魚やナマズは煮物に、持っていった材料でソムタム、と手分けして食事を作ったら、とりあえず宴会。ビールと蜂蜜酒の良いつまみになりますね。ただし日本人は抵抗力が低いので、限りなく生に近い料理であるコイは味見程度にしておいた方が良さそうです。


写真の左はモーラム・サムリーさん。宴会の始まりや終わり、参加者の紹介とかが全部語り(ラム)なので、ちょっとしたコンサートを見ている感じでした。N先生の楽団ヌムラーオ・サーオプータイのコンサートにもよく参加している人です。

年配が多いので途中政治議論になったりしたけど、ひとしきりわいわいとやったら宴会はお開き。なかなか楽しかったです。

ケーン楽団やN先生の楽団のやっている音楽、そしてモーラムも含めて、それらは本来土地の生活に根ざしたものなので、例えばプータイの音楽をやるのならプータイの生活様式を知るという事もテーマになります。そういう意味ではこの年配の人達は土地に密接した音楽を受け継ぐ証人であり、我々の師匠でもあります。N先生がこのピクニックを企画したのも、その辺が背景に有ったのでしょう。

帰りは寺に寄ってお坊さんに面会。年配の人でもお坊さんに会うと子供が父親に話すように、今日の出来事を報告するんですね。ちょっと興味深い光景でした。

ピー・プータイを作る

翌日はロイエトのケーン職人ブアさん宅を訪問。

半年か1年おきぐらいに、もう何度も訪問してますが、ブアさんは相変わらずのようでした。今回は持っていったケーン5本ぐらいの調整と、バンコクの予約者の為に新たに注文した5本のケーンの受け取りです。

自分も数ヶ月前に注文して置いたものが出来ていたのでこのときに受け取りました。右写真の手前から5個目のちょっと長いのがそれで、キーEmスケールの特別仕様です。通常のAmスケール標準仕様よりは2音半低い、どちらかというとモーラム仕様ですね。丸く柔らかい音がしますが、やはり音が低い分だけ息を使うし、吹き方も変えなければいけません。慣れるのには時間が掛かりそうです。ケーン演奏法の基本である深く長く強さの安定した呼吸というのが大事になりますね。

この日はもう一つの目的はピー・プータイ(プータイ族の笛)の製作。これを専門に作る職人というのは居ないので自分達で作るわけですが、リードはケーンと同じ構造なのでケーン職人に入れてもらいます。自分達は指穴と調律穴を空けるだけなんですが、これが意外と難しい。

手順としては組になるケーン(一緒に演奏するケーン)に音が合う長さに竹を切り、リードを入れます。それから指穴がまだ空いてない状態、一個だけ指穴を開けた状態、と調律していきます。一番上の指穴まで終わったらその上に調律穴を開けてキースート(ヤニ)でビニール膜を貼ります。昔は玉葱の皮を使ったということなので再現してみましたが、うまくいかないので結局ビニール膜にしました。調律穴を作るとまた全体に音がずれるので、今度は指穴を全部塞いだ状態、一個開放した状態、と再び調整しなおしたら完成です。キースートで微調整出来ないほど穴を開けすぎたらもう全て失敗となります。この日はその失敗を繰り返して、夕方までかけて10本作って、成功したのは2本だけでした。失敗した材料の竹が、もったいないですね。

夜は出来上がったピー・プータイとケーンを持ってマハサラカム大学のケーン楽団宿舎へ行き、楽団メンバーと試奏。ここの人達はやはり皆ちゃんと吹けますね。自分はまだ吹けませんが、キーEmのケーンに合わせて作ったものを一本持ち帰ったので、これから練習して行くところです。

2008-02-01

カラシン旅行記

1月25日は現在カラシンに居るN先生を訪問した。

 前日の夕方モーチット・バスターミナルへ、カラシン行きVIPバスのチケットを購入。450Bぐらいだったかな。食堂で食事してビールを飲みながら待つ。バスターミナルのご飯は作り置きのが25Bからなので普通だけど、ビアリオが50Bとかビアシンが68Bとか、ちょっと良いレストラン並みの値段がしますね。それでもバス待ちの人のほとんどは買って飲んでます。暇ですからね。節約派の旅行者は酒を買っていってここで氷入りコップ3Bを買って飲むのが良いかと思った。 

夜7時半に出発したバスは2~3時間走ってコラート・バスターミナルで休憩。15B分の食事券が配られます。15Bで食べられるのは作り置きのごはんとかカノムチンやお粥。もっと食べる分は現金を足します。カノムチンを食べたけど、ここのはかなり辛かった。名物の生姜スープを飲みたかったけど食べたカノムチンが辛すぎたので飲むのを止めたほど。手ぶらで行くのも何なので、お土産店でネームやムーヨーを購入。ここのお土産品は安い。

 バスは朝3時という中途半端な時間にカラシンに到着。この経路のバスは国境のナコンパノム県まで行くので、カラシンで降りるには通過時にちゃんと起きていないといけない。まぁ寝てても乗務員が起こしてくれるとは思うけど。 

到着したのでとりあえずN先生に電話。朝3時にもかかわらず、家族が仕事で使っている業務用ソンテウで迎えに来てくれた。迎えに来る人が居ない場合はもうちょっと遅い出発のバスの方が良いかもしれませんね。この日はN先生の家で就寝。 

翌日(日は変わってないけど)は現在のN先生の職場である学校へ。幼稚園から中学までが一緒の学園で、N先生は今年からここでポンラン楽団の指導をしている。バンコクでは演奏の仕事はたくさんあるけど、いろいろお金がかかるからその分仕事を増やさないといけなくなり、結果やたらと忙しくなる。大学院の論文を書く為にも、しばらく故郷のカラシンでじっくり過ごすのが良いと判断したそうだ。 

この日は学校の運動会。祭があればやはりポンラン楽団が出てきます。写真はこの学校のポンラン楽団の子供達、ナーンラム(踊子)も揃っている。カラシンはポンランの発祥地と言われ、ポンラン楽団は盛んです。N先生は赴任してまだ2週間程だけど既にスタンダードの5曲ぐらいはこなして居ました。こちらの子供達は物心ついた頃からイサーン音楽を聞き慣れ親しんでいるので上達が早いんでしょう。 

これはPA業者のトラック。機材はボロボロです。地方のPAは大体こんなものですね。度々何か壊れたりするんですが、半田ごて常備でその場ですぐ修理するのも普通の光景です。まぁそれはバンコクでも有ることなんですが。
 
夜はN先生の手作りピンの仕上げ。といってももうほとんど全部出来ていて、この時の作業はフレット打ちだけです。 古いスタイルのピンを再現というテーマなので、バイクのブレーキのケーブルをばらした弦以外には金属を一切使っていません。ペグも木製です。フレットは竹製で、必要最小限しか打ちません。そうすると中間のシとか、ファの音は無い仕様になります。
 
これでもう完成なんだけど、後は胴体の真中に綺麗な穴を開けると、もうちょっと音が響いて良いそうです。 
 
おまけ、移動中に捕まえたカメレオン(タイ語でキンカー)。イサーン地方ではこれをラープにして食べるのが好まれます。とてもおいしいそうだけど、自分は食べる勇気は無いですね。