旅行先で知り合った日本人S氏も行きたいというので一緒に行くことになりました。S氏は日本では小学校の先生で「手作り民族楽器教室」をやっている人です。
メコン川の向こう側に有るといわれるモーラム楽団の村にレンタル自転車で向かいます。日本の援助で作られたとという橋、通称「ジャパン・ブリッジ」です。川幅分の長さが有るので自転車で渡ると随分長く感じますね。我々のように自転車で渡る地元の人も居ましたが。
橋を渡って何キロメートルか走ったところの適当な集落で休憩。
なんか村人と子供達が集まって来ています。何をしてるのか聞いてみると、「森に逃げ込んだ悪人を警察が追いかけているので見に来ている」のだとか。全く見えませんでしたが。
今回同行したS氏は日本の小学校児童が集めた鉛筆を海外で配るという活動をしているそうで、ここの子供達にその鉛筆を配ってました。最初はみんな興味無さそうにしているのに、最後は奪い合いの大騒ぎになるのが子供らしい。
休息後、改めてモーラム楽団の有る村の事を聞くと、もっとずっと手前の橋の近くだそうで、またメコン川方面に戻ることになりました。しんどいです。結局森に逃げ込んだ悪人が捕まるところは見られませんでした。
小雨の中、自転車こいで目的の村に到着。見つけました。
丁度子供達がダンスの稽古中。
この時期は学校の後、毎日3時間ぐらい練習していて、これが11月ぐらいまで続くそうです。
見たところ非常に熱心で楽しそうというか、特に手前の子なんかは常に生き生きした感じで良かったです。
この時期は学校の後、毎日3時間ぐらい練習していて、これが11月ぐらいまで続くそうです。
見たところ非常に熱心で楽しそうというか、特に手前の子なんかは常に生き生きした感じで良かったです。
楽団の練習時間の後、楽団長のブントーン先生にちょっとお話を伺いました。
このバーン・カンニェーン村のモーラム楽団、「カナ・ドークファーペット・ポーントーン」は舞台歌劇(ラムルアントークローン)やラムシーパンドーン等の土地の歌を中心に演ずる楽団。総勢65人ぐらいで年間百日以上の公演を行うということです。
ダンサーやモーラムは8歳ぐらいから習い始めるそうで、この時も子供達、8歳、13歳、17歳と順番にラムを歌って聞かせてくれました。既に村の主力産業を支えているといった感じですね。産業化される事が良いのか悪いのかという議論も有りそうですが、土地の歌を伝え残して発展するという事への動機付けという点では「有り」なんじゃないか、と思います。なんて言うと自分の師匠達が怒るかもしれませんが。
しかし団長の娘さんであるモーラムのその堂々とした歌いっぷりはとても17歳には見えませんでした。しかも美人。
[追加9-9: この時のビデオです。
YouTube - บ้านคันแยง - Baan KhanNyaeng ]
今回モーケーンが不在でちょっと残念でしたが、ここで頂いた楽団のVCDを見たところでは、ラムシーパンドーンのゆったりしたリズムの中で小刻みにアクセントを入れ続けるという感じの、タイのイサーン地方ではあまり見たことが無いスタイルでした。興味深いです。
それから、まだ1年以上先の話だそうですが、日本の大阪音楽大学という大学の教授の招きでこの楽団が日本に行く予定もあるとか。日本にも注目している人が居るようです。
ビールとかラオラオとか飲みながら色々話してたブントーン先生、いきなりどこかに電話を掛けてからその携帯を我々に渡してきました。電話の相手は日本人のおそらくエッソーさんだと思われます。以前から「ラオスに駐在中でケーンが上手な方」と噂に聞いていました。しかし連絡先を聞くのを忘れてしまいましたので、どなたかご存知でしたらメールか何か頂けるよう、是非お伝えください。
今回は突然の訪問でしたが暖かく迎えて頂いたことに感謝したいと思います。
パクセーはここまで。この後、タイのラオス国境近く、アムナートチャロァーン県に向かいます。
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