2008-02-03

人類学センター・シリントーンにて

ムクダハンからカラシンに戻って一泊した後、マハサラカム大学の博物館へ。ケーン楽団の一部メンバーも一緒に、ここから送迎のバンに乗ってバンコクへ向かい、今回の4日間ほどの旅行は終了となりました。

到着したバンコクのピングラオのホテルにて一泊後、29日(火)はこのすぐ近くのシリントーン人類学センターへ。ここでは去年の6月にアメリカで行われた世界最大の民族万博と言われるスミソニアン・フォークライフ・フェスティバルの成果報告会と討論会が行われました。去年の壮行会でもここに来ましたが、もう半年以上経っての報告会です。

内容は成果報告や問題提起のプレゼンと討論会で朝から夕方までびっちりでした。特にベトナムの文化庁の役人と学者の人のプレゼンでは、民族博の前後を詳細に取材したドキュメンタリー・フィルムまで上映しての、かなり力の入った報告でした。この民族博の為の資金はタイ国への割り当てだけでも2千万Bが注がれているほどで、普段細々と活動していて今回いきなりアメリカに呼ばれたベトナムの民俗芸能家にとっては大きな影響だったようです。やはりスミソニアン基金の威力は凄いんですが、ぶっちゃけて言えば、文化活動と言ってもこういうことに資金を注ぐのには国益も考えた上での戦略的な意味が有るのでしょう。こういう所に日本の政府とかには理解のできないアメリカの国策も見え隠れしているように感じます。

ところでタイの運営者のプレゼンも上手ですね。見ていると最近はビデオ映像をふんだんに、まるでスライドショーのように使う手法が流行っているようでした。発表者の多くがMacBookを使っています。なんだか時代の変化を感じますね。

朝から夕方までびっちりの発表と討論会が終わったらとりあえずパフォーマンス。自分はアメリカ遠征のメンバーじゃなんですが、ケーン楽団の楽団員ということで何故か参加。マイク持って下手なタイ語を喋ったりして。他のモーラムのパフォーマンスが盛り上がる度に乱入したりして面白かった。

こちらはやはり民族博に参加したモーラム・クリッサナーとモーラム・サムアーンのラムクローン。今回の経験を全てラムで語る、堂々としたパフォーマンスでした。ケーンを吹いているモーケーン・アーチャーもケーン楽団宿舎で何度か会っているんですがこれがまたうまい。モーラムの伴奏は普通の楽器演奏とは違う技術が要求されます。この人酔っ払うとめちゃくちゃですが。


報告会が終わってもモーラムは止まらず、会議室出口で延々とやり続けています。写真は先月SETでのコンテストに出ていた天才学生モーケーンのレック君が伴奏しています。

この前の晩、宿泊ホテルでこのレック君と最後まで残って酒を飲んでたんですが、彼の話は非常に面白い。タイの古代文字のアクソン・タンマとかランナー、ランチャーン文字とかをすらすらと書いて、どこの綴りが違うかとか説明しちゃうんですね。昔タイ語を習ったときに自分が聞いてうっかり信じてしまった、「イサーン語には文字が無い」とかは全くの嘘で、政府が統治の為に長いこと使用を禁じて、それらの文字は無かったことにされてしまったのだとか。実際大学では教わらないけどレック君は自分で勉強しているようです。他にもラオスもタイも楽器ラナートやコーンを使うのにラオスではこれにケーンが加わるのにタイは加わらないのは何故かとか、そもそもラナートとかのタイの中央楽器や王室芸能のほとんどはインド・クメール文化から来たもので王室文書だってクメール文字だとか、過去のタイ王朝がモーラム、ケーン等のラオス文化を法律で禁止してまで必死に否定して来た事とか、いろいろ面白い話が聞けました。全然関係ないけど日本企業がタイのブランド米のホームマリを勝手に特許登録したとか言ってたけど本当ですかね。

この会議終了後の深夜、我々はラートプラオのケーブルTV局「タイTV(TTV)」で出演しました。聞いたところでは火曜と木曜に生放送の地方の音楽を扱う番組だそうです。タイTVってたしかアパートのケーブルTVで見ていたような?と思って後で探したら、自分のアパートではそのチャネル自体は無くて、ネーションTVの画面にこのタイTVのロゴが出ていました。どういう関係かわからないけど、ネーション系列のようですね。局の人に「日本語べらべらっと喋ってからタイ語で自己紹介」と要求されて、まぁ趣向は分かるので一応その通りにやっておきましたが、電波で下手糞なタイ語を喋ってしまいました。

[追記 2-17] ブアラバット楽団広報によるこの日のレポート(タイ語のみ)。

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