翌日はこの村のモーラムの先生、リエンチャイ先生の家へ。
イサーンの他の土地と同様、以前この村も「土地の歌としてのモーラムという娯楽」は衰退の一途を辿っていたんですが、このリエンチャイ先生が子供達に教えているうちにこれが楽団になり、それが観光客を引き寄せるようになって、やがてホームステイを提供するようになった、というのがこの村がホームステイ産業を営んでいる経緯のようです。それで自分も雑誌やTVでこの村の事を知ったわけです。
左がリエンチャイ先生。村では「会長」と呼ばれています。
なんだか、頂いたご飯(カオニャオじゃなくてカオチャオ)が非常に美味い。お世辞じゃなく今までタイで食べたカオチャオの中で一番という美味さです。それで驚いていたら、ここの米はタイで最も評価が高いカオホームマリ(香り米)なのだそうで。どうりで美味いわけです。これは皆一度食べてみるべきですよ、ほんと。
というわけでモーラム鑑賞。
左がモーケーン・マーラー。右はモーラムのおじちゃん(名前聞き忘れました)。
モーケーンのマーラー先生はTVで時々拝見していましたが、実に純粋素朴なおじちゃんという感じで好感が持てます。意外にも村のモーケーンとしては、この方お一人しか居ないようです。子供達も練習はしているけど、モーケーンはなかなか育たないんだそうで。これはなんとなく分かりますね。ある程度の技量に達するのにはかなり時間が掛かるんでしょう。
子供も歌い踊ります。慣れた感じで普段よく練習しているのが見て取れますね。
[追加 09-9-9: この時のビデオ
YouTube - บ้านปลาค้าว - Baan-PlaaKhaao ]
ラムは全てリエンチャイ先生が作詞したもの。つまり昔から伝承されたものでは無いんですね。その点はちょっと残念ではあります。手法もイサーン全土に見られるターンサン、ターンヤーオ、トァーイの定番スタイルと同様のもの(ここの皆さんはラーイサン、ラーイヤーオ、ラーイトァーイと呼びます)。
で、この日はマーラー先生とおじちゃんモーラムのお二人に、これらのラムの為のケーンをみっちり2時間以上教えてもらいました。まぁ元々習うのが目的で来たんですが、これが非常に熱心に教えてくれるのでこちらの方が先に疲れて休みたくなっちゃいました。お二人とも結構なお年なのに元気です。上の基本三種に加えてラムプロァーンまで練習した所で、「全般に問題無いけど、ラーイサン(ターンサン)にはまだかなり改良の余地があるね」、との助言を頂きました。いやーこの辺、実際なかかなか向上しませんです、なんでだろ?
それにしてもこの、教える事への熱心さはたいしたものです。大勢の子供達に教えてきたという実績の表れなのかな、という気がしました。またいつかお邪魔したいと思います。
というわけで感謝しつつ、次はウボン県に向かいます。
2009-08-27
2009-08-26
アムナートチャロァーン県へ
8月8日(土)はタイのアムナートチャロァーン県へ向かう事にする。とりあえずパクセーのバスターミナルへ。
ウボンの中心まで行かずに北上する方法が有るんじゃないかと思ってそこらの人に聞いてみたものの結局よく分からず。諦めて来た道と同じく、またウボン行き国際バスに乗ることに。
ウボン行きのバス。パクセーに来たときの車体と違って運転席が左側。乗客が左から乗ろうと思ってドアを開けるとそこは運転席で苦笑しています。実はその前に自分も同じことをやったんですが。
バスは朝8時半発、9時半頃タイに入国、昼頃にはウボンのバスターミナルに到着。
ここから目的地のバーンプラーカーオを通るというソンテウは3時頃にならないと来ないということなので、じゃぁまず普通バスでアムナート県の中心へ行った方が早いんじゃないかと判断。しかしこれが間違いでした。アムナートのバスターミナルに着いてみると、そこからバーンプラーカーオへの公共交通機関は昼以降には一切無いんだそうで、結局タクシーを雇うことに。余計な出費になりました。
そんなわけでちょっとミスったけど、一応目的地のバーンプラーカーオに到着。
とりあえず店番をしていた娘さんに村長さんの家まで案内してもらい、訪れた経緯なんかを説明。今は村長選挙の時期で大変なようです。今はタイ国の隅っこに有るこんな村でも各派の対立が有るんだそうで。
この村のモーラムの先生であるリエンチャイ先生に会うつもりだったんですがこの日は不在。とりあえず先生の妹さんの家に泊まらせてもらうことになりました。まぁ事前連絡も無しで行ってますからね。
宿泊させて頂いた家のご主人です。
「タムテーン」を作っていますが、軍人なので「軍隊のレシピ」だそうです。が、普段バンコクで食べるのとの違いは分かりませんでした。
頂いた夕食。全体に、バンコクで食べるイサーン料理とあまり変わらないようです。普通に頂きました。
この村、OTOPの一環としてホームステイを産業化したことで知られています。だから外国人の観光客等も珍しくないんだそうで。自分のような旅行者の扱いにも慣れた物、といったところでしょうか。
ご主人はこの土地の暮らしやすさを度々強調していました。「米もいっぱい取れるし、洪水も無い」、と。どうやら村人の生活満足度はかなり高そうです。
バスの時刻表を見ると、なんとバンコク-パクセーなんてのが書いてあります。もしかしてバス一本でバンコクから来れちゃうんでしょうか、驚きです。まぁ寝台車みたいに快適な寝心地は得られないでしょうけど、これはこれでお手軽ですね。
ウボンの中心まで行かずに北上する方法が有るんじゃないかと思ってそこらの人に聞いてみたものの結局よく分からず。諦めて来た道と同じく、またウボン行き国際バスに乗ることに。
ウボン行きのバス。パクセーに来たときの車体と違って運転席が左側。乗客が左から乗ろうと思ってドアを開けるとそこは運転席で苦笑しています。実はその前に自分も同じことをやったんですが。
バスは朝8時半発、9時半頃タイに入国、昼頃にはウボンのバスターミナルに到着。
ここから目的地のバーンプラーカーオを通るというソンテウは3時頃にならないと来ないということなので、じゃぁまず普通バスでアムナート県の中心へ行った方が早いんじゃないかと判断。しかしこれが間違いでした。アムナートのバスターミナルに着いてみると、そこからバーンプラーカーオへの公共交通機関は昼以降には一切無いんだそうで、結局タクシーを雇うことに。余計な出費になりました。
そんなわけでちょっとミスったけど、一応目的地のバーンプラーカーオに到着。
とりあえず店番をしていた娘さんに村長さんの家まで案内してもらい、訪れた経緯なんかを説明。今は村長選挙の時期で大変なようです。今はタイ国の隅っこに有るこんな村でも各派の対立が有るんだそうで。
この村のモーラムの先生であるリエンチャイ先生に会うつもりだったんですがこの日は不在。とりあえず先生の妹さんの家に泊まらせてもらうことになりました。まぁ事前連絡も無しで行ってますからね。
宿泊させて頂いた家のご主人です。
「タムテーン」を作っていますが、軍人なので「軍隊のレシピ」だそうです。が、普段バンコクで食べるのとの違いは分かりませんでした。
頂いた夕食。全体に、バンコクで食べるイサーン料理とあまり変わらないようです。普通に頂きました。
この村、OTOPの一環としてホームステイを産業化したことで知られています。だから外国人の観光客等も珍しくないんだそうで。自分のような旅行者の扱いにも慣れた物、といったところでしょうか。
ご主人はこの土地の暮らしやすさを度々強調していました。「米もいっぱい取れるし、洪水も無い」、と。どうやら村人の生活満足度はかなり高そうです。
2009-08-19
パクセーのモーラム楽団を訪ねる
8月7日(金)はパクセーに有るモーラム楽団を訪問することにする。
旅行先で知り合った日本人S氏も行きたいというので一緒に行くことになりました。S氏は日本では小学校の先生で「手作り民族楽器教室」をやっている人です。
メコン川の向こう側に有るといわれるモーラム楽団の村にレンタル自転車で向かいます。日本の援助で作られたとという橋、通称「ジャパン・ブリッジ」です。川幅分の長さが有るので自転車で渡ると随分長く感じますね。我々のように自転車で渡る地元の人も居ましたが。
橋を渡って何キロメートルか走ったところの適当な集落で休憩。
なんか村人と子供達が集まって来ています。何をしてるのか聞いてみると、「森に逃げ込んだ悪人を警察が追いかけているので見に来ている」のだとか。全く見えませんでしたが。
休息後、改めてモーラム楽団の有る村の事を聞くと、もっとずっと手前の橋の近くだそうで、またメコン川方面に戻ることになりました。しんどいです。結局森に逃げ込んだ悪人が捕まるところは見られませんでした。
小雨の中、自転車こいで目的の村に到着。見つけました。
楽団の練習時間の後、楽団長のブントーン先生にちょっとお話を伺いました。
このバーン・カンニェーン村のモーラム楽団、「カナ・ドークファーペット・ポーントーン」は舞台歌劇(ラムルアントークローン)やラムシーパンドーン等の土地の歌を中心に演ずる楽団。総勢65人ぐらいで年間百日以上の公演を行うということです。
ダンサーやモーラムは8歳ぐらいから習い始めるそうで、この時も子供達、8歳、13歳、17歳と順番にラムを歌って聞かせてくれました。既に村の主力産業を支えているといった感じですね。産業化される事が良いのか悪いのかという議論も有りそうですが、土地の歌を伝え残して発展するという事への動機付けという点では「有り」なんじゃないか、と思います。なんて言うと自分の師匠達が怒るかもしれませんが。
しかし団長の娘さんであるモーラムのその堂々とした歌いっぷりはとても17歳には見えませんでした。しかも美人。
[追加9-9: この時のビデオです。
YouTube - บ้านคันแยง - Baan KhanNyaeng ]
今回モーケーンが不在でちょっと残念でしたが、ここで頂いた楽団のVCDを見たところでは、ラムシーパンドーンのゆったりしたリズムの中で小刻みにアクセントを入れ続けるという感じの、タイのイサーン地方ではあまり見たことが無いスタイルでした。興味深いです。
それから、まだ1年以上先の話だそうですが、日本の大阪音楽大学という大学の教授の招きでこの楽団が日本に行く予定もあるとか。日本にも注目している人が居るようです。
ビールとかラオラオとか飲みながら色々話してたブントーン先生、いきなりどこかに電話を掛けてからその携帯を我々に渡してきました。電話の相手は日本人のおそらくエッソーさんだと思われます。以前から「ラオスに駐在中でケーンが上手な方」と噂に聞いていました。しかし連絡先を聞くのを忘れてしまいましたので、どなたかご存知でしたらメールか何か頂けるよう、是非お伝えください。
今回は突然の訪問でしたが暖かく迎えて頂いたことに感謝したいと思います。
パクセーはここまで。この後、タイのラオス国境近く、アムナートチャロァーン県に向かいます。
旅行先で知り合った日本人S氏も行きたいというので一緒に行くことになりました。S氏は日本では小学校の先生で「手作り民族楽器教室」をやっている人です。
メコン川の向こう側に有るといわれるモーラム楽団の村にレンタル自転車で向かいます。日本の援助で作られたとという橋、通称「ジャパン・ブリッジ」です。川幅分の長さが有るので自転車で渡ると随分長く感じますね。我々のように自転車で渡る地元の人も居ましたが。
橋を渡って何キロメートルか走ったところの適当な集落で休憩。
なんか村人と子供達が集まって来ています。何をしてるのか聞いてみると、「森に逃げ込んだ悪人を警察が追いかけているので見に来ている」のだとか。全く見えませんでしたが。
今回同行したS氏は日本の小学校児童が集めた鉛筆を海外で配るという活動をしているそうで、ここの子供達にその鉛筆を配ってました。最初はみんな興味無さそうにしているのに、最後は奪い合いの大騒ぎになるのが子供らしい。
休息後、改めてモーラム楽団の有る村の事を聞くと、もっとずっと手前の橋の近くだそうで、またメコン川方面に戻ることになりました。しんどいです。結局森に逃げ込んだ悪人が捕まるところは見られませんでした。
小雨の中、自転車こいで目的の村に到着。見つけました。
丁度子供達がダンスの稽古中。
この時期は学校の後、毎日3時間ぐらい練習していて、これが11月ぐらいまで続くそうです。
見たところ非常に熱心で楽しそうというか、特に手前の子なんかは常に生き生きした感じで良かったです。
この時期は学校の後、毎日3時間ぐらい練習していて、これが11月ぐらいまで続くそうです。
見たところ非常に熱心で楽しそうというか、特に手前の子なんかは常に生き生きした感じで良かったです。
楽団の練習時間の後、楽団長のブントーン先生にちょっとお話を伺いました。
このバーン・カンニェーン村のモーラム楽団、「カナ・ドークファーペット・ポーントーン」は舞台歌劇(ラムルアントークローン)やラムシーパンドーン等の土地の歌を中心に演ずる楽団。総勢65人ぐらいで年間百日以上の公演を行うということです。
ダンサーやモーラムは8歳ぐらいから習い始めるそうで、この時も子供達、8歳、13歳、17歳と順番にラムを歌って聞かせてくれました。既に村の主力産業を支えているといった感じですね。産業化される事が良いのか悪いのかという議論も有りそうですが、土地の歌を伝え残して発展するという事への動機付けという点では「有り」なんじゃないか、と思います。なんて言うと自分の師匠達が怒るかもしれませんが。
しかし団長の娘さんであるモーラムのその堂々とした歌いっぷりはとても17歳には見えませんでした。しかも美人。
[追加9-9: この時のビデオです。
YouTube - บ้านคันแยง - Baan KhanNyaeng ]
今回モーケーンが不在でちょっと残念でしたが、ここで頂いた楽団のVCDを見たところでは、ラムシーパンドーンのゆったりしたリズムの中で小刻みにアクセントを入れ続けるという感じの、タイのイサーン地方ではあまり見たことが無いスタイルでした。興味深いです。
それから、まだ1年以上先の話だそうですが、日本の大阪音楽大学という大学の教授の招きでこの楽団が日本に行く予定もあるとか。日本にも注目している人が居るようです。
ビールとかラオラオとか飲みながら色々話してたブントーン先生、いきなりどこかに電話を掛けてからその携帯を我々に渡してきました。電話の相手は日本人のおそらくエッソーさんだと思われます。以前から「ラオスに駐在中でケーンが上手な方」と噂に聞いていました。しかし連絡先を聞くのを忘れてしまいましたので、どなたかご存知でしたらメールか何か頂けるよう、是非お伝えください。
今回は突然の訪問でしたが暖かく迎えて頂いたことに感謝したいと思います。
パクセーはここまで。この後、タイのラオス国境近く、アムナートチャロァーン県に向かいます。
2009-08-18
旅行: パクセーへ
旅行です。8月5日(水)は、バンコクのフアラムポーン駅から列車の寝台車でウボン県へ、そしてラオスのパクセーに向かいました。
いつもなら二等のエアコン無しを指定するんですが売り切れで買えず、二等エアコン車両です。
エアコン車両は寒過ぎたり空気が悪かったりするのが心配ですが、窓が開かないので車両の騒音がや埃が少ないという利点は有りますね。車両内の注意書きは全て日本語。もしかしてこれが日本から贈られたブルートレインというやつでしょうか?
寝台車は、まぁとにかくビール飲んで寝るだけですね。十分快適に寝られました。エアコン寝台も意外と良いのかもしれません。ただ、ノンエアコンよりだいぶ高いけど。
朝目が覚めると丁度ガイヤーン売りが来たのでそれとカオニャオで朝食です。ガイヤーンが冷めてのでちょっとがっかり。
列車はほぼ時間通りにウボン駅に到着。おなかも減ってないのでそのままソンテウでウボンのバスターミナルへ。そしてパクセー行きの国際バスに乗ります。昔旅行に来た時は普通バスやソンテウを3台ぐらい乗り継いでやっと国境到達という感じだったので、今は随分便利になりました。
バスはチョンメック国境で一旦降りて各自でタイ出国とラオス入国の手続きをします。入国してからそのバスが見つからなくてウロウロしちゃいましたが、その後はパクセーのバスターミナルまで一直線。楽チン。
やって来ましたパクセー。お約束のメコン川です。
食事です。パクセーはラオス南部、チャムパーサックの一部ですが、前回旅行した中部サワンナケートの時と同様、やはりベトナム風の食事に惹かれますね。
(続く)なんか内容が無いけど、単なる旅行記です。
いつもなら二等のエアコン無しを指定するんですが売り切れで買えず、二等エアコン車両です。
エアコン車両は寒過ぎたり空気が悪かったりするのが心配ですが、窓が開かないので車両の騒音がや埃が少ないという利点は有りますね。車両内の注意書きは全て日本語。もしかしてこれが日本から贈られたブルートレインというやつでしょうか?
寝台車は、まぁとにかくビール飲んで寝るだけですね。十分快適に寝られました。エアコン寝台も意外と良いのかもしれません。ただ、ノンエアコンよりだいぶ高いけど。
朝目が覚めると丁度ガイヤーン売りが来たのでそれとカオニャオで朝食です。ガイヤーンが冷めてのでちょっとがっかり。
列車はほぼ時間通りにウボン駅に到着。おなかも減ってないのでそのままソンテウでウボンのバスターミナルへ。そしてパクセー行きの国際バスに乗ります。昔旅行に来た時は普通バスやソンテウを3台ぐらい乗り継いでやっと国境到達という感じだったので、今は随分便利になりました。
バスはチョンメック国境で一旦降りて各自でタイ出国とラオス入国の手続きをします。入国してからそのバスが見つからなくてウロウロしちゃいましたが、その後はパクセーのバスターミナルまで一直線。楽チン。
やって来ましたパクセー。お約束のメコン川です。
食事です。パクセーはラオス南部、チャムパーサックの一部ですが、前回旅行した中部サワンナケートの時と同様、やはりベトナム風の食事に惹かれますね。
(続く)なんか内容が無いけど、単なる旅行記です。
2009-08-04
ビエンチャン・キッチンにて
7月4日はトンローのレストラン、ビエンチャン・キッチン(クルア・ビエンチャン)にて。
ビア・ラーオのロゴが有るとそれだけでラオス風味ですね。スポンサーなんでしょうか?
今回はA先生がここでやるというので便乗して飛び入りしてみました。ここには何年も前、もういつだったか分からないくらい以前に観光客として来たことが有りまして、それ以来初めてで、非常に懐かしいです。当時は椅子と机よりもゴロっと寝転がれる席が多かったように記憶していますが。もう当時と感覚が違うのでメニューの値段見たら目眩がしますね。
ビエンチャン風が売りということでタイ音楽でも使われる打弦楽器のキム(ขิม)が設置してあります。これで時々思い出したように「ラーオドワンドゥアン」とか演奏するのがラオス風味。
ここのリーダーはラムカムヘン大のポンラン楽団でいつも司会とか歌とかでメインな人。以前ラムカムヘン大での催しで一度だけご一緒しましたが、最近はここで毎晩やっているようです。方向としては思いっきりお笑い指向なので自分としてはあまり面白くないんですが、しかしこの人のウォートは絶品です。
ルークトゥンやらなにやらいっぱいやるのでドラムス付きなんですが、こんなの。
ZOOMのリズムトラックを2つ並べてドラムセットだそうです。器用ですね。これでタイ風「お笑いの合いの手(ドコドコドン)」とかも入れます。彼らPAやらなにやらも全部ステージ上で自分でやってました。
今回は飛び入りなのに最後までご一緒しちゃいましたが、全部で4時間以上、大変疲れました。こんなことを毎日やってるんですねー、恐れ入ります。
日本のお客さんも多いのでちょっと挨拶したら、流暢な日本語に「おーっ」という反応が。「いや、日本人なんですが」と言ったらずっこけられました。微妙ですね。
また機会が有れば参加したいと思います。
明日から旅行です。今回はラオスのパークセー、アムナートチャロァーン県、ウボン県の各所を周遊してみます。特に今回はアムナートにある有名なモーラム村を訪問するつもりです。
ビア・ラーオのロゴが有るとそれだけでラオス風味ですね。スポンサーなんでしょうか?
今回はA先生がここでやるというので便乗して飛び入りしてみました。ここには何年も前、もういつだったか分からないくらい以前に観光客として来たことが有りまして、それ以来初めてで、非常に懐かしいです。当時は椅子と机よりもゴロっと寝転がれる席が多かったように記憶していますが。もう当時と感覚が違うのでメニューの値段見たら目眩がしますね。
ビエンチャン風が売りということでタイ音楽でも使われる打弦楽器のキム(ขิม)が設置してあります。これで時々思い出したように「ラーオドワンドゥアン」とか演奏するのがラオス風味。
ここのリーダーはラムカムヘン大のポンラン楽団でいつも司会とか歌とかでメインな人。以前ラムカムヘン大での催しで一度だけご一緒しましたが、最近はここで毎晩やっているようです。方向としては思いっきりお笑い指向なので自分としてはあまり面白くないんですが、しかしこの人のウォートは絶品です。
ルークトゥンやらなにやらいっぱいやるのでドラムス付きなんですが、こんなの。
ZOOMのリズムトラックを2つ並べてドラムセットだそうです。器用ですね。これでタイ風「お笑いの合いの手(ドコドコドン)」とかも入れます。彼らPAやらなにやらも全部ステージ上で自分でやってました。
今回は飛び入りなのに最後までご一緒しちゃいましたが、全部で4時間以上、大変疲れました。こんなことを毎日やってるんですねー、恐れ入ります。
日本のお客さんも多いのでちょっと挨拶したら、流暢な日本語に「おーっ」という反応が。「いや、日本人なんですが」と言ったらずっこけられました。微妙ですね。
また機会が有れば参加したいと思います。
明日から旅行です。今回はラオスのパークセー、アムナートチャロァーン県、ウボン県の各所を周遊してみます。特に今回はアムナートにある有名なモーラム村を訪問するつもりです。
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