6月21日は師匠のN先生が出るコンサート「モーン&ワールドミュージック」の見学にバンコクの北隣、パトゥムタニー県へ。いつも通り、主催がビアシンなのでビール飲むのも目的ですが。
フューチャー・ランシット前の広場に設置されている巨大なテント内のステージ。写真はパトゥムタニの楽団によるモーン族(=มอญ、ラオスのモン族ではない)の伝統舞踊。三日月型のドラやラナート、ポァーンマーン(เปิงมาง)という小さい太鼓がいっぱい並んだ打楽器が主役のようですね。全てタイ中部の音楽で見られるのと同じようです。優雅で豪勢な舞踊でした。
こちらはギリシャから来た Asto Na Pai。アコーデオンやバイオリンの感じからするとジプシー系でしょうか。
これはチェンマイから来た、カレン族の楽団 Shi Pakakayaw。カレン風のハープのような楽器は、自分は初めて見るものです。全般にこのハープでの弾き語りっぽい感じでした。カレン語の歌詞はさっぱり分からず。
他にも南タイのムスリム、ヤーウィー族の楽団等、いろいろ有ったけど多すぎてちょっと分からなくなった。
写真はタイの西洋人タレントでお馴染みトッド・トーンディーさん。相変わらずタイ語でバリバリ司会してます。内容はいつも通りなので、とりあえず師匠の写真でも撮っておいた。
ウォートでソロ中のN先生。
延々とソロ。絡むトッド。
トッド:「まだですか~?」
踊ったりして。
最後は北部出身の有名歌手、ランナー・カミンさん。日本へも何度か行ってるからきっと有名ですね。N先生も好きらしくて、最後までバックでケーン吹いてました。
ランナー・カミンさんはいつも北タイ語を話すので、連呼する語尾の「チャーオ」が耳に付きますが、英語もずいぶん流暢ですね。母親は北タイに居ながら半タクシンを公言して家に爆弾投げ込まれたりしても屈しない筋金入りの活動家。大変ですね。
毎度ながらいろんな物が出てくるこのコンサート・シリーズですが、今回もテンコ盛でした。ビールも2リットル以上飲んだ感じです。
2008-06-27
2008-06-21
ナコンパトム県サーラーヤー郡にて
6月20日(金)は子供楽団と共に、ナコンパトム県サーラーヤー郡へ。前回のタウィーワタナ区から更に西へ向かい、県境を越えた辺り。遠いです、前回にも増して凄い田舎。
サーラーヤーといえば巨大なマヒドン大学サーラーヤー・キャンパスが有る事で有名なんですが、目的地はマヒドンではなくそのすぐ近くにあるお寺のお祭り。
夕方お寺に到着した我々は出番までだいぶ待ちそうだということなので、とりあえず周りを散歩。
お寺はマハーサワットという運河のほとりにありまして、祭りの期間はここでボートレースが行われるのだそうで、水上にはコースを示す旗なんかがあります(左)。写真(右)の丸太は、これに乗って競い合って相手を水に落とす競技の為のもの。日本にも同じ物がありますね。
この運河、ラーマ4世の命令で1860年に掘ったものだそうで、チャオプラヤ川から28kmほど水を引いてるそうです。その時に、運河のほとりを歩く人が休息できるように4km毎に小屋を作ったんですが、その小屋の一つに薬の調合レシピを書き記しておいたのがサーラーヤー(薬小屋)という地名の語源だそうな。と、ここの看板に書いて有りました。為になります。
変わった形の木橋とその上から見たマハーサワット運河。風情があります。この橋、勾配がきつい上に幅が狭くて、バイク同士がすれ違うのも大変なようでした。それでも頻繁にバイクが渡っていたので、地元の交通には重要な橋なんでしょうね。
お寺に設置されたステージはこんな感じ。見た感じよりも意外と広くて、今回の楽器6人、ダンサー10人ぐらいのほぼ最小構成の楽団には十分だった。
しかしサウンドチェックも無しに始めてみると、なんだか音がスカスカな感じが。よく見たらピンとベースのアンプを拾うマイクが設置してないじゃないの(笑)。という感じでそのまま2セットぐらいやっちゃったけど、一緒に来た文化センター職員の運転手の人がたまらず間に合わせのマイクを持ってきたので後半はちょっとマシになった。それにしても始まるまで誰も気がつかないというのがなんだか可笑しかった。
風情のある橋と子供楽団でピン担当の中学生。丸々と太っていて確実に肥満ですが、気の良い奴です。
運河があまりに綺麗だったせいか、お寺の写真を撮り忘れた。
サーラーヤーといえば巨大なマヒドン大学サーラーヤー・キャンパスが有る事で有名なんですが、目的地はマヒドンではなくそのすぐ近くにあるお寺のお祭り。
夕方お寺に到着した我々は出番までだいぶ待ちそうだということなので、とりあえず周りを散歩。
お寺はマハーサワットという運河のほとりにありまして、祭りの期間はここでボートレースが行われるのだそうで、水上にはコースを示す旗なんかがあります(左)。写真(右)の丸太は、これに乗って競い合って相手を水に落とす競技の為のもの。日本にも同じ物がありますね。
この運河、ラーマ4世の命令で1860年に掘ったものだそうで、チャオプラヤ川から28kmほど水を引いてるそうです。その時に、運河のほとりを歩く人が休息できるように4km毎に小屋を作ったんですが、その小屋の一つに薬の調合レシピを書き記しておいたのがサーラーヤー(薬小屋)という地名の語源だそうな。と、ここの看板に書いて有りました。為になります。
変わった形の木橋とその上から見たマハーサワット運河。風情があります。この橋、勾配がきつい上に幅が狭くて、バイク同士がすれ違うのも大変なようでした。それでも頻繁にバイクが渡っていたので、地元の交通には重要な橋なんでしょうね。
お寺に設置されたステージはこんな感じ。見た感じよりも意外と広くて、今回の楽器6人、ダンサー10人ぐらいのほぼ最小構成の楽団には十分だった。
しかしサウンドチェックも無しに始めてみると、なんだか音がスカスカな感じが。よく見たらピンとベースのアンプを拾うマイクが設置してないじゃないの(笑)。という感じでそのまま2セットぐらいやっちゃったけど、一緒に来た文化センター職員の運転手の人がたまらず間に合わせのマイクを持ってきたので後半はちょっとマシになった。それにしても始まるまで誰も気がつかないというのがなんだか可笑しかった。
風情のある橋と子供楽団でピン担当の中学生。丸々と太っていて確実に肥満ですが、気の良い奴です。
運河があまりに綺麗だったせいか、お寺の写真を撮り忘れた。
2008-06-10
タウィーワタナー学校にて
6月6日(金)は、バンコク郊外のタウィーワタナー学校にて。
タウィーワタナー区は、郊外と言ってももうバンコクの西端でナコンパトム県のすぐ隣。学校の校舎からの眺めは「森」という感じ。遥か彼方にバンコクの高層ビルが小さく見えるが、風景は他県の田舎と変わらない。
到着後はまず、この学校のポンラン楽団の機材をチェック。緩んだ太鼓の張りを直す(左)。この学校のポンラン楽団用の機材のほとんどはA先生が納入した物だそうで、アフターケアの一貫だろうか。
今回は学校関係者の宴会ということで、一緒にやるダンサーも学校の先生方。(右)は教室で練習中の風景。
子供達と混じって演奏しては食べ、食べては演奏し、という感じで3時間ぐらいだったか。演奏しに行ったというより宴会に行ったという感じかも。テーブルに乗り切らないテンコ盛りの料理で満足。ただし学校なせいか酒は少なめでした。
学校で適当に借りた派手な衣装を着て食いまくる我々。
先生ダンサーズ。ミリカワユス。
タウィーワタナー区は、郊外と言ってももうバンコクの西端でナコンパトム県のすぐ隣。学校の校舎からの眺めは「森」という感じ。遥か彼方にバンコクの高層ビルが小さく見えるが、風景は他県の田舎と変わらない。
到着後はまず、この学校のポンラン楽団の機材をチェック。緩んだ太鼓の張りを直す(左)。この学校のポンラン楽団用の機材のほとんどはA先生が納入した物だそうで、アフターケアの一貫だろうか。
今回は学校関係者の宴会ということで、一緒にやるダンサーも学校の先生方。(右)は教室で練習中の風景。
子供達と混じって演奏しては食べ、食べては演奏し、という感じで3時間ぐらいだったか。演奏しに行ったというより宴会に行ったという感じかも。テーブルに乗り切らないテンコ盛りの料理で満足。ただし学校なせいか酒は少なめでした。
学校で適当に借りた派手な衣装を着て食いまくる我々。
先生ダンサーズ。ミリカワユス。
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