2009-12-20

カラシン県で結婚式

12月13日(日)に行われるN先生の結婚式に参加するためカラシン県へ。

N先生(またの名をジョイ・プータイ)との付き合いは自分がイサーン音楽に関わり始めた頃から、もうかれこれ5年ほどになりますが、ついに結婚するということで。今回は10ヶ月前のカラシン・ミュージック・フェスティバル以来ご無沙汰でした。
そんなわけで、式の前日朝、N先生宅に到着。


家の向かいの土地にラーチャパット・カラシン大の学生達(N先生の現在の教え子達)による手作りのステージが設置されています。ここは畑だった筈なんですが、この日の為に畑が無くなっちゃったようです。


料理も手伝う学生達。イサーンでの式のメイン料理は大抵ラープやコイですから、大量の肉を叩きます。ステージ作りから料理まで、助っ人が大勢居て良いですね。そして料理の合間にケーン楽団の練習したり。自分は到着してすぐビール飲み始めちゃったんで、この頃既に酔っぱらってきてますが。


こちらはヤーンタラート郡の子供達(N先生の以前の教え子)の前日リハーサル。彼等とは一年半ほど前に一緒に合宿した仲です。もう皆中学生ぐらいでしょうか。彼等が今回の式のメインの楽団を勤めます。なんだか合う度に成長して大きくなるのもそうですが、もの凄い上達ぶりです。バンコクの我々の子供楽団とは比較にならないノリの良さ。写真はチャープ(大シンバル)担当がジャンプしたところですが、ちょっと見にくいでしょうか。かなり実力がついたので最近は度々ノンカイやウボンラチャタニに遠征しているそうです。ケーン担当の子は合間々にちょっとでも時間が空くと「教えてくれ」と度々せがんでくるる程で、貪欲に吸収しようとしているのが分かります。こういう所もバンコクの子供達とは大違い。

この日N先生宅は子供達やら学生やらで満杯なので我々はホテルに宿泊。大幅値引き中の上、他の学生と部屋をシェアしたらゲストハウス並の費用、心地よいベッドでとてもよく寝られました。朝からビール飲んでたせいかもしれないけど。

翌日は式の当日。


結婚式。プラーム(祈祷師)によるバイシースークワンとプークケンの儀式です。「マードァー(魂よ来たれ)」の掛け声はいつ聞いても良いものですね。式は普通にイサーン式ですが、普通と違うのは我々ケーン楽団が常に演奏している所でしょうか。こういうのも良いですね。


外の舞台は全体を通して子供達の楽団が担当。ですがカラシンやマハサラカムの演奏家が次々と参加するのでかなり豪華でした。写真左はフォーンプータイ、写真右は以前マハサラカム大学での合宿でお世話になったモーケーン・アーチャー先生と学生モーラム。この若いモーラム、名前を聞き忘れましたがあちこちの催しで一年中活動しているそうです。

この日はムクダハンのプータイ、モーラムサムリーとピー・プータイ演奏家のポーメークさんが来ていて、自分はケーンでラムプータイの伴奏に参加させて頂きました。ラムプータイの最初から最後まで参加できたのは初めてなので、自分には貴重な体験となりました。


写真はポーメークおじさんからピー・プータイを譲ってもらって喜んでいるアーチャー先生。ポーメークさん、到着するなり他の人達との挨拶もそこそこにケーンを見ると一直線にそれを掴み取りに向かう所を見て笑っちゃいました。どんだけ好きなんだと。

自分はこの日の夜のバスでバンコクに戻る必要があったので最後まで見られませんでしたが、朝から晩まで飲んでは演奏しっぱなしの二日間、楽しい結婚式でした。

2009-11-17

リケーフールー(ディケーフールー)

深南部の戦場パッタニー県の地方芸能「リケーフールー(またはディケーフールー)」がバンコクのマヒドン大学にやってくるそうです。

11月18日(水) 16:30-18:00
マヒドン大学アジア言語文化研究所2階会議室

団長のジェポー氏「行くと約束したからには必ず行って、我々の芸能文化に興味が有る人々の為に一生懸命演じます。バンコクへ続く道が有る限り車は走れる、心配ない。」

危険と水害の中、バンを走らせてやってくるということで、この機会に南部芸能リケーフールーを鑑賞してみてはいかがでしょう。


今年一月、センタンワールドプラザでのリケーフールー。

DTACのコマーシャルで見るリケーフールー。
「誰でも故郷を愛し、誰でも故郷を憂う」

2009-11-08

ポンラン・サオーンのリハ見学

11月7日(土)はド・モール・バーンカピにて、ポンラン・サオーンのコンサートのリハーサルを見学、というか、参加する子供達の引率に行っただけですが。



このコンサート、いつもながら出演者がめちゃ多いです。200人以上は居るんじゃないでしょうか。リハの待ち行列が長くてうちらの子供達の順番が全然回ってきません。夕方行ったんですが、順番が来たのは夜10時ぐらいでした。その割りに出番自体は一瞬ですが。多くの出演者がちょっとずつ役割をこなす、というスタイルなので、まぁしょうがないですね。



ポンランで参加する子供達。手前の子はカラシン県から来ていましたが、やっぱり上手ですね。ポンランの本場ですし。



カラシン、ロイエト、コラートのポンラン3楽団の競演。人が多過ぎてフレームはみ出してますが。やはりこの辺が見所かな?と思います。

それからポンラン・サオーンと言えばコントでですね。自分はギャグは未だによく理解できないんですが、リハでの打ち合わせがもの凄く細かいですね。「ここでこうやった方が面白い」とか綿密に練り上げてました。



こちらはケーンとウォートで王室賛歌を練習中。最初は子供達がやる予定でしたが、やはりこの歌はきっちりやらないといけないということで急遽、大人達がやることに。A先生も駆り出されてます。



タキシードとパーカオマーという妙な衣装の子供達。キマッてます。

というわけでコンサート本番は8日(日)、ド・モール・バーンカピにて。お近くの方はどうぞ。当日チケットが有るかどうか?は分かりません。

2009-11-05

ビエンチャンにてコンクールのお知らせ

ビエンチャンでモーケーンとモーラムのコンクールが行われるそうです。急ですが、お近くの方は是非どうぞ。

日時: 11月7日(土) 19:00から
場所: 国立文化ホール


そのホール前の告知看板。

実際のところ、ラオスのモーケーン、モーラム人口は減少し続けていて参加者が少なくて困っているそうなので、外国人でも参加される方は大歓迎だそうです(参加無料)。ビエンチャンでこのように大々的に行われるコンクールは年一回だけです。

タイで行われるコンテストは参加者が多過ぎて、とても全部聞けないくらいなんですけど。ラオスの国のシンボルと言っても良いケーン、その愛好者が減り続けている現状は残念ですね。


こちらは3日(火)のワット・オンテゥ(ວັດອົງຕື້)でのタンブンのお祭りの様子。


行列で本堂の周りを回る姿、スピーカーを積んだ押し車とか、ピンが主役なところとか、この腰周りに付ける太鼓セットとか、タイのイサーン地方で見られるのとほとんど同じですね。いったいどこで始まったスタイルなんでしょうか。


ケーンが見当たらないなぁと思ってたら寺の外の宴会場にモーケーンが居ました、ちょっと安心。

2009-10-11

モーケーン・レック君

モーケーン・レック君の動画がYoutubeにいっぱい上がっていたので紹介しておきます。

スッサネーンとポーサーイ。


ラーイノーイ。


その他のラーイ(モード)は関連動画から。撮影者達の雑音が多くてちょっともったいない感じですが、人並み外れた演奏力なのはケーン好きの人なら一目で分かると思います。

そういえばモーケーン・レック君についてはこの日記(これ日記だっけ?)に何度も書いた気がするなぁと思ったので過去に言及した書き込みを並べてみました(新しい順)。
最初に会ったのは2006年コンケンでのコンテスト会場で、当時「この18歳はめっちゃうまい」とか書いていましたが、後にケーンの事をもっと良く知るようになると、「あぁ、天才だったのね」という感想です。ケーン以外にもほぼ全てのイサーン楽器をこなすし、ラムも歌って舞踊もできる上にプータイ・レーヌー族の末裔として自らの民族の歴史と文化を探求し続けている、ということで今後が楽しみなところ。問題はいつも酒を飲み過ぎて行動がめちゃくちゃな所ですが。

2009-09-10

タラカーン群へ

8月11日(火)はウボンの田舎町、タラカーン群へ。普通バスで1時間ほど。

ここに来たらやはり、モーケーン・ンガンさんに会わなくては、ということでさっそくンガンさんの店へ食事に。といっても去年会ったのが初めてで今回が二度目ですが。

とりあえず普通にトムセープとコイ・クアを注文。この店、やっぱりうまいです。特にコイ・クアの独特の苦味が良いですな。

相変わらず元気そうなンガンさんに一発吹いてもらいます。

ンガンさんは昔は職業モーケーンでしたが今は引退してこの店が本業。前回来た時は既にケーンも持ってなかったんですが、今回はケーンを新たに入手してました。お客のリクエストで吹いたりするんだそうで、嬉しいことです。

去年教えてもらったウボン風のポーサイとティッスーッを次に会うときまで練習しておくつもりだったんですが、実は全然やってませんでした、ごめんなさい。ということで、今回はビデオに撮らせて頂きました。

 Youtube - ลายแคนอุบลฯ โป้ซ้าย ติดสูตร

周りのノイズが酷くて残念ですが前半がポーサイ、後半がティッスーッ。改めて見てみるとやはり難しいですね。特にティッスーッ、他の地方のライソイとほとんど同じ奏法と考えて良さそうですが、そのライソイ自体がそもそも難しいので、まぁじっくり研究しましょう。

帰り際に食事の会計をしようとしたらンガンさん、 代金は要らないと言う。「いや、そもそも食事に来たんですから」と言っても頑として受け取りません。ちょっと困っちゃいましたが結局お言葉に甘えました。次回は酒でも持っていこう。

夜は村のラム好きのおばちゃんと一緒に、村長というか地区長(ナーヨック・オーボートー)の家での宴会に乱入してみました。

この村長(左)がまたかなりのモーラム好きで、結構歌います。

村長さんによると、現在タラカーンに文化センターの設立を計画中で、モーラム等の郷土音楽の教師を集めている最中ということでした。以前からポー・チャラートノーイという有名なモーラムの出身地であるタラカーンにそういう物が無いことが不思議だったんですが、何にせよ喜ばしいことです。出来上がったらまた訪問せねば。

この日は毎度お世話になっている家に宿泊。更に数キロ郊外の凄い田舎です。


翌日は母の日ということで、おばあちゃん達から祝福を受ける儀式とか、子供達が踊りを披露したりとか。ついでに村のモーラムおばちゃん達とセッション。あまり興味が無い子供達は向こうで鍋を始めてます。自宅でムーカタとは、しゃれてますな。

俺も食べる~。

と、田舎を堪能したところでバンコクへ、今回の旅行はおしまい。

2009-09-09

ウボンへ

8月9日(日)、ウボンへ向かいます。

市街地の南を流れるムーン川沿いの格安ビジネスホテルみたいな所で二泊ほど休息しました。旅行中はいつもネットから遠ざかってるんですが、そこにはフリーWiFiが付いていたりして。他にもWiFiフリーなステーキ屋とかも有って、のんびり過ごせちゃいます。それと川沿いの屋台市場には安価な食事がいっぱいでビールも飲めちゃう。ウボンの中心はいろいろ便利になってますね。以前と違ってソンテウがバス停以外で止まってくれなかったりするのは不便ですが。

川沿いの屋台市場のカーオクルックガピ。

市街地の南を流れるムーン川。この辺に滞在するのが気に入っている。

川沿いにコテージ風のゲストハウスらしきものがいくつも建築中でした。次回、これが出来上がっていたら泊まってみたい気がします。

二日間のんびり休息した後は田舎のタラカーン群へ向かいます。なんだか内容が無いですが、実際何もしなかったようで。

2009-08-27

バーンプラーカーオ村にて

翌日はこの村のモーラムの先生、リエンチャイ先生の家へ。

イサーンの他の土地と同様、以前この村も「土地の歌としてのモーラムという娯楽」は衰退の一途を辿っていたんですが、このリエンチャイ先生が子供達に教えているうちにこれが楽団になり、それが観光客を引き寄せるようになって、やがてホームステイを提供するようになった、というのがこの村がホームステイ産業を営んでいる経緯のようです。それで自分も雑誌やTVでこの村の事を知ったわけです。

左がリエンチャイ先生。村では「会長」と呼ばれています。

なんだか、頂いたご飯(カオニャオじゃなくてカオチャオ)が非常に美味い。お世辞じゃなく今までタイで食べたカオチャオの中で一番という美味さです。それで驚いていたら、ここの米はタイで最も評価が高いカオホームマリ(香り米)なのだそうで。どうりで美味いわけです。これは皆一度食べてみるべきですよ、ほんと。

というわけでモーラム鑑賞。

左がモーケーン・マーラー。右はモーラムのおじちゃん(名前聞き忘れました)。

モーケーンのマーラー先生はTVで時々拝見していましたが、実に純粋素朴なおじちゃんという感じで好感が持てます。意外にも村のモーケーンとしては、この方お一人しか居ないようです。子供達も練習はしているけど、モーケーンはなかなか育たないんだそうで。これはなんとなく分かりますね。ある程度の技量に達するのにはかなり時間が掛かるんでしょう。

子供も歌い踊ります。慣れた感じで普段よく練習しているのが見て取れますね。

[追加 09-9-9: この時のビデオ
YouTube - บ้านปลาค้าว - Baan-PlaaKhaao ]

ラムは全てリエンチャイ先生が作詞したもの。つまり昔から伝承されたものでは無いんですね。その点はちょっと残念ではあります。手法もイサーン全土に見られるターンサン、ターンヤーオ、トァーイの定番スタイルと同様のもの(ここの皆さんはラーイサン、ラーイヤーオ、ラーイトァーイと呼びます)。

で、この日はマーラー先生とおじちゃんモーラムのお二人に、これらのラムの為のケーンをみっちり2時間以上教えてもらいました。まぁ元々習うのが目的で来たんですが、これが非常に熱心に教えてくれるのでこちらの方が先に疲れて休みたくなっちゃいました。お二人とも結構なお年なのに元気です。上の基本三種に加えてラムプロァーンまで練習した所で、「全般に問題無いけど、ラーイサン(ターンサン)にはまだかなり改良の余地があるね」、との助言を頂きました。いやーこの辺、実際なかかなか向上しませんです、なんでだろ?

それにしてもこの、教える事への熱心さはたいしたものです。大勢の子供達に教えてきたという実績の表れなのかな、という気がしました。またいつかお邪魔したいと思います。

というわけで感謝しつつ、次はウボン県に向かいます。

2009-08-26

アムナートチャロァーン県へ

8月8日(土)はタイのアムナートチャロァーン県へ向かう事にする。とりあえずパクセーのバスターミナルへ。

バスの時刻表を見ると、なんとバンコク-パクセーなんてのが書いてあります。もしかしてバス一本でバンコクから来れちゃうんでしょうか、驚きです。まぁ寝台車みたいに快適な寝心地は得られないでしょうけど、これはこれでお手軽ですね。

ウボンの中心まで行かずに北上する方法が有るんじゃないかと思ってそこらの人に聞いてみたものの結局よく分からず。諦めて来た道と同じく、またウボン行き国際バスに乗ることに。


ウボン行きのバス。パクセーに来たときの車体と違って運転席が左側。乗客が左から乗ろうと思ってドアを開けるとそこは運転席で苦笑しています。実はその前に自分も同じことをやったんですが。

バスは朝8時半発、9時半頃タイに入国、昼頃にはウボンのバスターミナルに到着。

ここから目的地のバーンプラーカーオを通るというソンテウは3時頃にならないと来ないということなので、じゃぁまず普通バスでアムナート県の中心へ行った方が早いんじゃないかと判断。しかしこれが間違いでした。アムナートのバスターミナルに着いてみると、そこからバーンプラーカーオへの公共交通機関は昼以降には一切無いんだそうで、結局タクシーを雇うことに。余計な出費になりました。

そんなわけでちょっとミスったけど、一応目的地のバーンプラーカーオに到着。

テレビや雑誌で見たことがある、村のステージです。ここで子供達のモーラムによるショーが行われるんですね。

とりあえず店番をしていた娘さんに村長さんの家まで案内してもらい、訪れた経緯なんかを説明。今は村長選挙の時期で大変なようです。今はタイ国の隅っこに有るこんな村でも各派の対立が有るんだそうで。

この村のモーラムの先生であるリエンチャイ先生に会うつもりだったんですがこの日は不在。とりあえず先生の妹さんの家に泊まらせてもらうことになりました。まぁ事前連絡も無しで行ってますからね。

宿泊させて頂いた家のご主人です。

「タムテーン」を作っていますが、軍人なので「軍隊のレシピ」だそうです。が、普段バンコクで食べるのとの違いは分かりませんでした。

頂いた夕食。全体に、バンコクで食べるイサーン料理とあまり変わらないようです。普通に頂きました。

この村、OTOPの一環としてホームステイを産業化したことで知られています。だから外国人の観光客等も珍しくないんだそうで。自分のような旅行者の扱いにも慣れた物、といったところでしょうか。

ご主人はこの土地の暮らしやすさを度々強調していました。「米もいっぱい取れるし、洪水も無い」、と。どうやら村人の生活満足度はかなり高そうです。

2009-08-19

パクセーのモーラム楽団を訪ねる

8月7日(金)はパクセーに有るモーラム楽団を訪問することにする。

旅行先で知り合った日本人S氏も行きたいというので一緒に行くことになりました。S氏は日本では小学校の先生で「手作り民族楽器教室」をやっている人です。

メコン川の向こう側に有るといわれるモーラム楽団の村にレンタル自転車で向かいます。日本の援助で作られたとという橋、通称「ジャパン・ブリッジ」です。川幅分の長さが有るので自転車で渡ると随分長く感じますね。我々のように自転車で渡る地元の人も居ましたが。

橋を渡って何キロメートルか走ったところの適当な集落で休憩。

なんか村人と子供達が集まって来ています。何をしてるのか聞いてみると、「森に逃げ込んだ悪人を警察が追いかけているので見に来ている」のだとか。全く見えませんでしたが。

今回同行したS氏は日本の小学校児童が集めた鉛筆を海外で配るという活動をしているそうで、ここの子供達にその鉛筆を配ってました。最初はみんな興味無さそうにしているのに、最後は奪い合いの大騒ぎになるのが子供らしい。

休息後、改めてモーラム楽団の有る村の事を聞くと、もっとずっと手前の橋の近くだそうで、またメコン川方面に戻ることになりました。しんどいです。結局森に逃げ込んだ悪人が捕まるところは見られませんでした。

小雨の中、自転車こいで目的の村に到着。見つけました。

丁度子供達がダンスの稽古中。

この時期は学校の後、毎日3時間ぐらい練習していて、これが11月ぐらいまで続くそうです。

見たところ非常に熱心で楽しそうというか、特に手前の子なんかは常に生き生きした感じで良かったです。

なぜか一緒に踊りまくるS氏。ウケてます、さすが小学校教師です。しかもスキンヘッドでのけぞってるし。元々ラテン系のダンスが得意なんだそうで。

楽団の練習時間の後、楽団長のブントーン先生にちょっとお話を伺いました。

このバーン・カンニェーン村のモーラム楽団、「カナ・ドークファーペット・ポーントーン」は舞台歌劇(ラムルアントークローン)やラムシーパンドーン等の土地の歌を中心に演ずる楽団。総勢65人ぐらいで年間百日以上の公演を行うということです。

ダンサーやモーラムは8歳ぐらいから習い始めるそうで、この時も子供達、8歳、13歳、17歳と順番にラムを歌って聞かせてくれました。既に村の主力産業を支えているといった感じですね。産業化される事が良いのか悪いのかという議論も有りそうですが、土地の歌を伝え残して発展するという事への動機付けという点では「有り」なんじゃないか、と思います。なんて言うと自分の師匠達が怒るかもしれませんが。

しかし団長の娘さんであるモーラムのその堂々とした歌いっぷりはとても17歳には見えませんでした。しかも美人。

[追加9-9: この時のビデオです。
YouTube - บ้านคันแยง - Baan KhanNyaeng ]

今回モーケーンが不在でちょっと残念でしたが、ここで頂いた楽団のVCDを見たところでは、ラムシーパンドーンのゆったりしたリズムの中で小刻みにアクセントを入れ続けるという感じの、タイのイサーン地方ではあまり見たことが無いスタイルでした。興味深いです。

それから、まだ1年以上先の話だそうですが、日本の大阪音楽大学という大学の教授の招きでこの楽団が日本に行く予定もあるとか。日本にも注目している人が居るようです。

ビールとかラオラオとか飲みながら色々話してたブントーン先生、いきなりどこかに電話を掛けてからその携帯を我々に渡してきました。電話の相手は日本人のおそらくエッソーさんだと思われます。以前から「ラオスに駐在中でケーンが上手な方」と噂に聞いていました。しかし連絡先を聞くのを忘れてしまいましたので、どなたかご存知でしたらメールか何か頂けるよう、是非お伝えください。

今回は突然の訪問でしたが暖かく迎えて頂いたことに感謝したいと思います。

パクセーはここまで。この後、タイのラオス国境近く、アムナートチャロァーン県に向かいます。

2009-08-18

旅行: パクセーへ

旅行です。8月5日(水)は、バンコクのフアラムポーン駅から列車の寝台車でウボン県へ、そしてラオスのパクセーに向かいました。

いつもなら二等のエアコン無しを指定するんですが売り切れで買えず、二等エアコン車両です。

エアコン車両は寒過ぎたり空気が悪かったりするのが心配ですが、窓が開かないので車両の騒音がや埃が少ないという利点は有りますね。車両内の注意書きは全て日本語。もしかしてこれが日本から贈られたブルートレインというやつでしょうか?

寝台車は、まぁとにかくビール飲んで寝るだけですね。十分快適に寝られました。エアコン寝台も意外と良いのかもしれません。ただ、ノンエアコンよりだいぶ高いけど。

朝目が覚めると丁度ガイヤーン売りが来たのでそれとカオニャオで朝食です。ガイヤーンが冷めてのでちょっとがっかり。

列車はほぼ時間通りにウボン駅に到着。おなかも減ってないのでそのままソンテウでウボンのバスターミナルへ。そしてパクセー行きの国際バスに乗ります。昔旅行に来た時は普通バスやソンテウを3台ぐらい乗り継いでやっと国境到達という感じだったので、今は随分便利になりました。

バスはチョンメック国境で一旦降りて各自でタイ出国とラオス入国の手続きをします。入国してからそのバスが見つからなくてウロウロしちゃいましたが、その後はパクセーのバスターミナルまで一直線。楽チン。

やって来ましたパクセー。お約束のメコン川です。

食事です。パクセーはラオス南部、チャムパーサックの一部ですが、前回旅行した中部サワンナケートの時と同様、やはりベトナム風の食事に惹かれますね。


(続く)なんか内容が無いけど、単なる旅行記です。

2009-08-04

ビエンチャン・キッチンにて

7月4日はトンローのレストラン、ビエンチャン・キッチン(クルア・ビエンチャン)にて。

ビア・ラーオのロゴが有るとそれだけでラオス風味ですね。スポンサーなんでしょうか?

今回はA先生がここでやるというので便乗して飛び入りしてみました。ここには何年も前、もういつだったか分からないくらい以前に観光客として来たことが有りまして、それ以来初めてで、非常に懐かしいです。当時は椅子と机よりもゴロっと寝転がれる席が多かったように記憶していますが。もう当時と感覚が違うのでメニューの値段見たら目眩がしますね。

ビエンチャン風が売りということでタイ音楽でも使われる打弦楽器のキム(ขิม)が設置してあります。これで時々思い出したように「ラーオドワンドゥアン」とか演奏するのがラオス風味。

ここのリーダーはラムカムヘン大のポンラン楽団でいつも司会とか歌とかでメインな人。以前ラムカムヘン大での催しで一度だけご一緒しましたが、最近はここで毎晩やっているようです。方向としては思いっきりお笑い指向なので自分としてはあまり面白くないんですが、しかしこの人のウォートは絶品です。

ルークトゥンやらなにやらいっぱいやるのでドラムス付きなんですが、こんなの。
ZOOMのリズムトラックを2つ並べてドラムセットだそうです。器用ですね。これでタイ風「お笑いの合いの手(ドコドコドン)」とかも入れます。彼らPAやらなにやらも全部ステージ上で自分でやってました。

今回は飛び入りなのに最後までご一緒しちゃいましたが、全部で4時間以上、大変疲れました。こんなことを毎日やってるんですねー、恐れ入ります。

日本のお客さんも多いのでちょっと挨拶したら、流暢な日本語に「おーっ」という反応が。「いや、日本人なんですが」と言ったらずっこけられました。微妙ですね。

また機会が有れば参加したいと思います。


明日から旅行です。今回はラオスのパークセー、アムナートチャロァーン県、ウボン県の各所を周遊してみます。特に今回はアムナートにある有名なモーラム村を訪問するつもりです。