2007-12-11

ナショナル・シアターにて

9日(日)はナショナル・シアターにて、子供楽団の演奏会。

ナショナル・シアターは王宮広場の隣の国立博物館と同じ敷地にある施設で、これは文化センターの青少年音楽協会が総出で年一回行われている催し物。出演するのは子供ばかりだけど入場料はたった20Bとお得。

去年はラーマキエン劇(コーン)も有ったけど今年は無く、タイ中央の舞踊とポンラン楽団だけ。場所柄、お笑いの類は一切無しでひたすら定番のセットをやって最後は王室の歌で起立して終了と、終始形式ばった感じだった。まぁたまにはこういうのも良いかな。

この日は珍しくタイ語学校時代からの知り合い達が見に来てくれたのでカオサンで飲み食いしてから家の周辺の安い店に連れて行って夜中まで飲んだ。いつもながらヤードーンは日本人の誰に飲ませても評判が悪いですね。

2007-12-03

スワンルアンにて

2日(日)はバンコク東部の巨大公園、スワンルアンにて。

C先生がリーダーをつとめる年一回の公演で去年も参加させてもらった。去年は公演の真中の池のほとりにあった舞台が今年は移動して場所を見つけるまでに1時間ほど無駄にした。ほんとに巨大な公園です。でも見つけてみたらそれはもう広大な敷地だった。写真左は明るいうちに舞台からみた広場。

内容的にはC先生とお笑い系の芸人の人とのコントが半分以上を占めていて演奏自体はちょっと少なく、物足りない感じだった。今回も前にひっぱり出されたので見ている人に日本語わかる人がいるか聞いてみたけど、見事に反応が無かった。ほんとに一人も居ないんだろうか?

この日はポンラン人間国宝のプルアンさんが亡くなったという知らせが届いた。朝方C先生が「友達が死んだ」と言っていたのがプルアンさんの事だとは分からなかったけど、その後SMSで届くニュース速報で理解。公演終了時にC先生が黙祷を呼びかけると観客が皆サッと立ち上がって黙祷した。

プルアンさんはイサーン楽器「ポンラン」の発案者で、ポンラン楽団をイサーン芸能の一つとして発展させた功績によりシンラパ・ヘン・チャート(タイの人間国宝のようなもの)となった。自分が会ったのは2回だけだけど、気さくな良いおじいちゃんだった。一度目はコンサート会場の楽屋喫煙所で話し掛けられでもまったく話が理解できず、当時はそもそも誰なのかも知らなかった。二度目はコンケンでのコンテストの審査員長として来ていて、終わってからマハサラカムまで車でご一緒し、日本に演奏に行ったときの話を聞いたりした。「なんならこのままカラシンの家に遊びに来るかい?」と気さくに尋ねられたのを思い出す。

翌朝、大衆紙のタイラット新聞で追悼記事を見た。カラシンの田舎で質素な生活をし、シンラパ・ヘン・チャートになっても生活スタイルは全く変わらず、75歳の高齢にもかかわらず一家の大黒柱として勢力的に飛び回っていた。またそのうち会う機会が有るだろう、と思っていたけど残念。ご冥福をお祈り致します。

2007-11-25

南バスターミナルにて

24日(土)はローイクラトンの日。バンコク南バスターミナル(サーイターイ・マイ)でのフリーコンサートに参加。

最近度々一緒になるモーラムP君がメインで、そうすると内容は自然とラムクローンとラムシンになる。中高生ダンサーや天才ポンラン少年も一緒。N先生はドラム、彼はなぜか最近ドラムを叩くことが多い。

連絡を受けたのが夕方5時過ぎで開始が夜7時半。どう考えてもうちからは間に合わない。洗濯中で靴下がないからバス亭に行く途中市場で靴下をあさっていると警官に「身分証見せろ」と言われる。4年間こんなことは一度も無かったのに時間が無いこんな時にこんな目に合う。コピーしかなかったので今度から本物を持ち歩けと言われつつ何事も無く済んだけど、持ち歩いたらよっぽど盗難とか紛失の危険が増すと思うんだけどなぁ。もしかしたら、警官にとってはこういう行事の日はある意味、稼ぎ時なのかもしれないと思いつつバスを待つけどなかなか来なくて30分ぐらい待つ。

やっと来た南バスターミナル行きのバスに延々と乗りつづけて、王宮広場を過ぎ、このまま着くかと思ったら車掌に「ターミナルは引越ししたばかりで、このバスは今はまだそこまで行かないと」言われる。しょうがないからピンクラオで降りてやはりサイタイ・マイと書いてあるバスに乗ったけど、それもターミナルに行かないと言われてまた乗り換え。3本目のバスでやっと着いたけどターミナルが大きすぎてステージが見つからず。結局ステージは到着地点の反対側の広場だった。

見つけたときは既に演奏が始まっていて、やはり間に合わなかったか、と思ったけど2本目があるということでその後半だけ参加。結局参加したのは1時間足らずで物足りない感じだった。

帰りのバスに乗るためにターミナルの前の大通りの歩道橋を渡って反対で待っていると目の前で急停車したバスの後ろにバイクが衝突。怪我は無いようだけどいきなり大渋滞に。で、よく考えたら来る時にUターンしてからターミナルに入ってきたんだから帰りのバスは反対方向だと気づく。またターミナルに戻ってみるとうちまで一本で帰れるバスに遭遇。やっと帰れた。夜中になったけど一応ローイクラトンの日なので近所のプラカノン運河で灯篭を流して帰った。

そんなこんなで何だかすごく変な日だった。こんな妙な運の元、今夜寝台列車でラオスへ向かうけどスムーズに行けば良いなぁ。

2007-11-24

シーナカリンウィロート大学にて

23日(金)はアソーク、グラミーの近所のシーナカリンウィロート大学にて、バンコク内の数々の大学のイサーン出身の学生達によるコンサート集会が行われるということで、モーラムP君に誘われたので参加してきた。


写真はこういう集まりでは大抵まず最初に行われるバイシースークワンとワイクルーの儀式。神主(プラーム)による祈祷の後、儀式に使った糸を祝福の言葉を掛け合いながらお互いの手首に縛る。意外ときちんとした儀式でした。

モーラムP君とモーケーンL君によるラムクローンはもうかなり高レベル。ラムシンも取り混ぜて良いステージでした。このコンサート集会のメインとして2時間ぐらいだったでしょうか。後で日本人モーケーンとしてちょこっと参加したけど、さすがにちょっと恥ずかしかったですね。

自分は明日からまたラオスへ、またヴィエンチャンのモーケーンに会ってこようかと思ってます。

2007-11-20

コンサート見学

16日(金)はアユタヤから帰ったその足でトーキョー・ジョーズへ。

トーキョー・ジョーズは以前プロンポンの脇のソイに有ったブルース系パブですが、もう少しトンロー寄りのソイ26に最近引っ越してきたようです。以前行ったときはオーナーが日本人だったような気がするんですが、いつからか巨漢の西洋人ギタリストがオーナーになっているようですね。この辺の事情はよく分からないんですが。

そのトーキョー・ジョーズでN先生が外人タレント「トッド・トーンディー」と競演するということで見学。度々一緒にやってるようで、だいぶこなれている感じでした。個人的には何度も聞きすぎて、歌はちょっと聞き飽きた気もしますが。

日を置いて18日(日)もそのトッドさんとピン奏者のA先生が競演するということで見学。

何かキリスト教系の団体(ロータリー?)の為のコンサートのようです。盲目のソー・カメーン奏者のディップさん(カントゥルム系)も一緒でした。以前ナコンサワンでご一緒したんですが、ディップさん相変わらずノリノリでした。しかしバンド本体がもう一つ向こうのステージで、こちらが見えない上にモニターが聞こえないとかでかなり困っていた様子。

終了後はルンピニ公園の隣の屋台で宴会。こういう所にはよく盲目の人が楽器を弾きながらお金をもらって廻るのがよく見られるんですが、この時も来たのでとりあえずセッション。ケーンを吹いているのは現在マヒドン音大の学生のL君。彼の演奏はコンケンでのコンテストでも見たんだけど、信じられないほどに上手い。ただやたら酒好きで、この日貰った出演料を即座に酒代に使ってしまった様子。おかげで自分も飲み過ぎた。

2007-11-19

アユタヤその他

16日(金)はアユタヤにて。

アユタヤの役人の誕生パーティらしい。写真で歌っている女性は最近知り合ったモーラムP君の後輩。この役人の屋敷で休息したけど、プライベートな船着場のある川縁の立派な屋敷で、いかにも富豪という感じだった。こんな別荘があったら最高ですな。


17日(土)早朝はワット・プラケーオ前にて、バンコクマラソンのスタート式。


バンコク知事が来ていたので取材陣が大勢。この時はもう一箇所同時に演奏があってメンバーが不足、中高生達もフル動員されていた。



18日(日)はパヤタイにあるサンティラート高校の同窓会。


この日は自分はポンラン担当。舞台でポンランを叩くのは2回目なのでだいぶ落ち着いたかな。前回は舞い上がってしまったけど。それにしても校庭のテーブルの数が凄かった。



19日(月)は伊勢丹バンコクのジャパン・フェアーにて。


日本人なのでちょっと舞台で喋ったりして、喋るのはかなり苦手だけど。写真右のピン・ベースがなんだか気に入った。虎の形だそうです。

翌日20日(火)も夕方6時ぐらいからやる予定。

[11-22追記] 結局21日まで、3日間やらせてもらいました。なかなか楽しかったです。しかし前振り無しに喋らされるのには毎度困りますね。

2007-11-13

ラチャダー、ポー・クンパオにて

11日(日)はラチャダーのポー・クンパオにて。

ポー・クンパオといったら普通はバンコクの随所にある有名なパブを思い出すけど、それじゃなくて隣のホールでの結婚式の出し物。自分もポー・クンパオにこんな式場があるとは知らなかった。それにしても最近結婚式がやたら多い。そして結婚式場にはドレスを着飾ったオカマさんが異常に多い(タイ国の特徴)。

今回はラーチャボーピット学校の中高生との混成ポンラン楽団。ポンランを叩いてるのがすごく小さい子供で小学生かと思ったら中学生だった。文化センターでもそうだけど、物心ついたころからイサーン楽器をやってる子供が多くて、良いことだと思う。

今回は修行中の若いモーラム・P君が参加していたのでいろいろ話を聞いてみた。コンケンのラートリー・シーウィライ先生に師事しているそうだ。一般的にはあまりメジャーではないようだけど、この先生のモーラム養成所はその世界では有名。せっかく知り合ったので今度連れて行ってもらおうかと思っている。まだ電話番号交換しただけだけど。

写真は見にくいけどP君が持っていたモーラムの教科書。最初に覚えるべき基本的な詩がぎっしり詰まっている。こんな教科書は未だかつて見たことがなかった。

モーラムの修行では大量の詩を次々と覚えなければならない。以前読んだモーラム・アンカナーンのインタビューによると一編の詩を覚える労力はルークトゥンの2曲分ぐらいで、ベテランは千から二千は覚えている、とのこと。それは苦行と言えると思う。

せっかくポー・クンパオに来たのでパブ(プレーン・プアチウィット系)の方で飲んでから帰った。こういうパブに来るのは2年ぶりぐらいか、当時からそうだったけどそれほど賑わっているようには見えない。若者は同じラチャダーならクラブ、ディスコ系の方へ行き、こういうパブに来るのは少し落ち着いて飲みたい年齢層の高い人達のようだ。

2007-10-31

ソルツインホテルにて

29日(月)は都内のホテルにて、結婚式の披露宴の為に演奏した。

地方での儀式的な雰囲気が欲しいということで、舞台で座っての演奏。その前でダンサーが踊るというスタイル。

この日は直前になって一部メンバーがオープニングに間に合わないという事態が起こり、自分はポンランを叩くことになってしまった。人前で叩くのは初めてな上に練習したことが無いメロディーでテンパってしまってボロボロだった。ポンラン楽団でのポンランは言わばリード楽器だから、これはかなり問題。

そもそもポンラン楽団の基本テーマは束の間の幸福を演出すること。丁寧にやることよりも、やはり気分を持ち上げて気合を入れて臨むことが大事ですね。自信の無い演奏はご法度と痛感。まぁこういう失敗も糧になるかな、と思うことにしようかと。

ダンサーと記念撮影。貧相に見えるけど、これが舞台での正装。

この日はタイの日本語フリーペーパー『WEB』に取材して頂いたのでボツらなければ後日載るかも。

2007-10-15

セーリー・センターにて

日曜日はシーナカリン通りのセーリー・センターにて子供楽団の演奏。

セーリー・センターはバンコク東側では有数の巨大ショッピングモールであるシーコン・スクエアのすぐ近くにあるマーケット。食品や衣料の細々とした小さな店がびっしり入っている建物で、バンコク東部に住む人はほとんど買い物をしたことがあるんじゃないかと思います。バンコク中心のショッピング街に比べたら価格も安いし。

今回演奏したその正面玄関の上下階吹き抜けのステージは、買い物客がたくさん見物していくので活気が有って良い感じです。内容は司会のS先生の歌うイサーンバーンハオ、タイプアン、カンタゥルムのルアムチャップクラップ、ソァーン・ポンラン等で1時間少々。途中ライヤイのソロもやらせてもらった。あちこちミスったけど、正直分かる人はほとんど居ないだろうという安易な考えをしてしまうこの頃です。

終わってからA先生のおごりで同ビル内のMKスキーを食べたり買い物したりして帰った。普段はMKなんて日本人の知り合いが来た時ぐらいしか行きません。なんでかというとビールが高いんです。あの鍋料理を食べてると凄くビールが飲みたくなるので。しかし店員は気が利くし愛想が良くて関心、さすがMK。

2007-10-08

ピサヌロークにて

6日(土)、ベトナムから上陸した熱帯低気圧が北部や東北部に被害を与えているというニュースの最中、ピサヌローク県での民族音楽のフリーコンサートへ向かった。

バンコクを出発して約5時間、到着時もやはり雨。このピサヌロークでも中心地以外では洪水被害のニュースが流れていた。

雨が止んだ隙になんとかサウンドチェック。しかし、なんだかいろいろ疑問を感じてきた。大人数でジャムするのにステージが狭い。それにこんな天候状態なのにステージにテントが無い。客席も狭いんだから、全部テントで覆っちゃえば良いのに、なんて思った。

なんとかチェックを済ませたら宿泊ホテルにて司会のトッドさんの部屋で打ち合わせ。

今回の主題はタイ北部地方の音楽、イサーン地方の音楽、及び西洋音楽の競演。イサーン地方の代表的な楽器と言えばピン、ケーン、ピー・プータイ。これに対して北部ならスン、ソー、そしてピー・プータイと同じ構造だけど大きさが異なる笛(名前を聞き忘れた)。

スンはピンと同様、ギターのような構造だけど4本弦、このうち2本ずつを同じ音に調律するので実質は2弦のように扱う。フレットと弦高が非常に高いので持った感じはだいぶ違うようだ。

ソーはタイ中央楽器のソーと同じく2本弦だけど、タイ中央のソーが2本の弦の間に弓を通すのに対して北部のソーはどちらの弦も上から擦る。ボディーは椰子の殻で、弦はメタル弦のようだった。

写真の右の若者はこれら北部の楽器を全てこなすという天才。なんとまだ中学三年生。ピー・プータイと音合わせ中。ピープータイと違って調律用の穴は無いので他が合わせるしか無さそうだ。しかしFmのスケールでほぼ一致した。

この北部の笛のリードを見せてもらった(写真ピンボケですが)。リードの構造はピー・プータイと全く同じ、つまりケーンのリードと同じ。ただしサイズは倍ぐらいある。このリードがすっぽり収まるように咥えるわけだから口が大変。

夜7時半、雨が止んだので我々の出番で開演。ところがオープニングと歌一曲やったところで大雨が降りだして緊急避難。その後も雨は止まず、結局中止となった。やっぱりね、という感じだけど残念。

演奏中止で欲求不満気味の為もあってか、避難先のステージ裏の寺で約1時間ほどセッションした。写真に入っていないけど北部風の即興の語り手も加わって来て面白かった。北部風の語りは、これまた「ソー」と呼ばれるもので、丁度イサーン地方のモーラムに相当すると思ってよいそうだ。

この夜はホテルに宿泊。翌日バンコクへ向かった。翌日は嵐の後の晴天で、非常にもったいなかった。片道5時間も掛かるのに。

おまけ。写真は北部地方、特にピサヌロークの太鼓で「マンカラ (มังคละ)」と呼ばれるもの。右の小さいのを細いバチで叩くとテケテケテケと小気味良い音がする。ステージ前のブースで愛好会が展示実演をしていたもの。「マンカラ」はこの太鼓の事でもあり、これを使う楽団、その音楽のことも指す言葉でもあるらしい。なんとホテル内のコヨーテ・パブにもこの名前がついていた。

2007-10-02

ケーン用マイク

ケーン用のマイクについて思ったこと。

ケーンの本来の音は竹管全体が振動して出る音です。例えば初めて触るケーンで「ちゃんと鳴っているか」をチェックするなら、一音ずつ鳴らしたときに管の上の方を触って振動しているかどうかを見るのが効果的だと言われています。この長い竹管全体が振動して出る音ですから、聞き手にとっては少なくとも1メートル以上離れて聞く音が自然だと思います。マイク無しで演奏者の前で生音で聞いている場合なんかが最も自然な音を聞いているということになりますね。

スタジオならある程度離れた場所にマイクを置けば良いのですが、ステージだとこれが問題です。1メートルも離れたところに置いたマイクでは音が拾えませんからマイクスタンドの前に張り付くケースが最も多く、実際そういうのをよく目にしますが、これだとドローンの甲高い音がやたらと強調されちゃうことになります。ポンラン楽団の演奏を見ていてもピーピーとドローンの音ばかり聞こえることが良くありますね。これはもうしょうがないんですが、せめてちょっと斜めに構えたらピーピー音が軽減されると思います。環境が許すなら20cmぐらい離れて手の下の位置から音をとるように。ただし周りの音が大きすぎてこれだと拾えないこともありますけど。

マイクをケーンの前部に括りつけるケースも見ますがこれも同様というか、更に酷いと思います。ライヤイでもライノイでも、一番前方のドローン管に密着しているわけだから当然ですよね。

ステージではマイクを脇に挟む人もたまに見ます。これはマイク密着よりはまだ良いんじゃないかと思いますが、脇に物を挟んでる状態は演奏しにくいでしょうね。モーラムとステージを歩き回りながら、モーケーンが時々喋ったりするケースではよく見るケースですが。

一方ラムクローン等で最もよく見るのが、ケーンの底にマイクを仕込んだケースを装着する方法です。竹管の底の穴から出る音というのは実際のところ自然な音とはかけ離れた、かなり篭った音で、正直言うと悪いんですが、うるさいステージでも確実に音が拾えるし、ドローンに偏ったピーピー音も無いのでこの方法が定着しているようです。

自分が最近使っているのもやはりこの底に装着するタイプですが、そんな製品が有るわけでは無いのでお手製です。

コンビニで6Bぐらいで売っている最も安い飲料水のボトル、特にこの最も安い水ボトルが柔らかくて良いようです。適当に切って下にマイク挿入用の穴を開けます。綺麗な穴が開けられなくても、穴にボトルの飲み口をはめ込むと綺麗ですね。そして中心に真鍮か何かの棒を突き刺すと、これが丁度ケーンの竹管の間にうまく嵌るようになります。手軽ですね、10分でできますし。これに管楽器用ミニマイクを装着します。写真のマイクは有名なAKGの管楽器用コンデンサマイク。近所に住む元職業ドラマーのK氏にお願いして日本で買ってきてもらったものです。

装着するとこんな感じ。真鍮の棒のがケーンを束ねている内側の竹に当たるのでマイクを潰す心配は有りません。抜ける落ちるのが心配な時は装着した後、上側にもう一本棒を差すと固定されます。

見た目がちょっとナニですね、色でも塗った方が良いでしょうか。それはともかく音はもうちょっと工夫が必要なようです。容器内での反響がいけないとしたらスポンジでも入れたほうが良いのか、それとも空気が抜けるように穴を開けたほうがよいのか、とかいろいろ有りますが、その辺の知識が無いのでまだ未対策です。

2007-09-25

ルクトゥンとか

2008-9追加: 楽団で新しく演奏する機会がある度にメモしていくことにします。音源は検索すればほとんど見つかります。
  • สยามเมืองยิ้ม - พุ่มพวง ดวงจันทร์
    プムプワンによる微笑みの国サヤーム。「タイ人は誇りを持ちなさい~」と朗々と歌います。
  • คาถาขอใจ - หลิว อาจารียา
    緑茶飲料のコマーシャルでの日本語のセリフ「新芽頂戴」から作られた曲が何故か人気に。アイドル歌手のリウはとてもかわいい。
  • มนต์รักส้มตำ - ดวงตา คงทอง
    カンチャナブリー出身の歌手のドゥアンターは孤児でしたが小学校3年で既にコンテスト荒らしだったそうです。
  • เสียงซอสั่งสาว - ศรชัย เมฆ วิเชียร
    ソー(胡弓)がテーマの曲。前半に特徴的なソーのソロが有りますが、これが盲目のモーケーン・ソムバット先生による演奏だそうです。参考: สมบัติ สิมหล้า : เทพแห่งแคน ผู้ไร้ดวงตาแต่หัวใจมีเพลง
  • คนหลังยังคอย - เดือนเพ็ญ อำนวยพร
    ドゥアンペン・アムヌアイポーンにはラムローンの作品が大量に有りますが、ラムシンも歌っています。この人の声は大好きです。

元記事:
ポンラン楽団をやってても演奏機会が有るルークトゥン、歌手のバックだったりBGMだったりするんですが、知らないとまずい曲が結構あるようで、「ルクトゥンは知らない」とばかり言っていられないようです。以下は知っておかないとまずいな、と最近思ったものの試聴リスト。
  • นัดพบหน้าอำเภอ - พุ่มพวง ดวงจันทร์
  • ผู้ชายในฝัน - พุ่มพวง ดวงจันทร์
    プムプアンはさすがに自分も昔CDを買ったりして知っているものが多いですね。
  • สาวอีสานรอรัก - อรอุมา สิงห์ศิริ
    ノーンペンサーオコンケンで始まるのが耳に馴染む為か、この曲をサーオコンケンと呼んでいる人が多いですね。
  • 30 ยังแจ๋ว - ยอดรัก สลักใจ
    30過ぎてもイケてるー、そんな内容でしょうか。先日亡くなったヨートラック・サラクチャイがオリジナルですがカバーも人気。
  • มอเตอร์ไซค์นุ่งสั้น - สุนารี ราชสีมา
    ミニスカートでバイクに乗る娘(タイトルのまんま)。
  • ฮักสาวขอนแก่น
    コンケン娘とモーケーンの話。トレレントレレーンとか歌うのはケーンの音を表しているようで。
  • รักจางที่บางปะกง - ก็อต จักรพรรณ อาบครบุรี
    バーンパコン、これ良いですね。でもすんごい覚えにくいんですが。歌詞を見ても詩的な言葉使いが多くて全然理解できません。ちなみにバーンパコンはチャチョァーンサオ県の南部の郡名及び川の名前で半年毎に淡水と海水が入れ替わるそうで(ここ間違ったことを書いたので修正)、その様子を女心に掛けている、といったところが肝でしょうか。
    [追記: ソットサイ・ルムポートーン(สดใส ร่มโพธิ์ทอง)によるものが原曲のようです。この記事によるとソットサイが最も人気だったのは仏暦2517-2520ということなのでおそらく30年以上前の曲でしょうか。去年4月にパトゥムタニ県で議員として当選していますが今も歌手は辞めていないという記述があります。]
  • หนุ่มนาข้าว สาวนาเกลือ - สรเพชร ภิญโญ และ น้องนุช ดวงชีวัน
    デュエット曲の代表の一つらしいですね。田植えの青年と塩田の娘。
    チャロァームポン・マーラーカムとピムパー(เฉลิมพล, พิมพา)による少々ラムシン風味バージョンも有るようです。
  • สาวดำรำพัน - เจเน็ต เขียว
    ジャネット・キァオは映画でよく見るコメディアンですが、自身の特徴である色黒女をネタにすることが多いのでこれをリバイバルで歌っているようですね。
  • สาวดำรำพัน - เย็นจิตร พรเทวี
    その原曲らしいですが、これも実はさらに昔の曲(タイダムラムパンかな?)をもじったものらしいです。
ほかにもいっぱいありますが、正直覚えきれませんね。なるべく日ごろ聞くようにするしかないか。

2007-09-24

ガビンブリにて

子供楽団の演奏小旅行でプラーチンブリ県のガビンブリへ。午後1時、総勢50人ぐらいで貸切バスで出発、夕方到着、即演奏して夜中に帰るという結構きついスケジュールだった。



会場は小学校の校庭。ここの校長の退職パーティということだけど、その割には結構大きいステージだった。いわゆる地元の有力者なのかな?

内容はオープニングでオーンソーン・イサーン、他の催し物の後にソァーン・サウィン(魚を捕る網の舞踊)、ドゥンクロック・ドゥンサーク(臼と杵の舞踊)、ソァーン・ガポー(椰子の殻の舞踊)等の舞踊セットとマノラーの水浴びでS先生(元パラム9プラザのお笑い芸人)のお笑い等。お笑いではつい最近の飛行機事故なんかをネタにしたりして日本人から見たら、これはまずいだろう、というような内容だけど、タイでは良くある光景ですね。自分もいつもの腰振りネタをやらされた、まぁしょうがないかな、という感じ。

しかしやってる最中明るいステージには虫がいっぱい飛んできて顔とかにぶつかって来るのがつらいですね。髪の毛とかに絡んでくるし。田舎ではしょうがないことだけど。

2007-09-12

情報省広報局にて

10日(月)は情報省の広報局にて子供楽団の演奏。

フルネームは情報通信技術省だけど長いので情報省で。タイではICT省という略称でも知られています。今年何ヶ月もの間、タイからYouTubeへのアクセスを遮断したこととか、つい最近はコンピュータ犯罪に関する新法を発してタイのサイト管理者をびびらせたり、というような話で有名です。その一部の広報局という建物ですが、これが一部の局のくせにやたらでかい。

で、なんの催し物かと思ったら、ただの誕生日パーティでした。一個人の誕生日パーティにポンラン楽団を呼んじゃうとは、さすがタイの役人ですね。内容はドゥンクロック・ドゥンサーク、スァーン・ガポー、タイプアン等のスタンダード曲を普通に。でもケーン用のマイクが無かった。フル楽団でマイクが無いと、ちょっとでも聞こえるように必死で吹かないといけないので疲れます。

無関係だけど、なんかC先生の車が壊れてた。来る途中事故ったらしい。この人、車好きで「トヨタレーシング」とかのステッカーがぺたぺた張ってあるけど「タ」の文字が「ヲ」のような「ヌ」のような微妙な文字。タイではありがちです。

2007-09-03

国立競技場にて

9月1日(土)は国立競技場で行われたイサーン音楽の祭を見てきました。

メインステージはBTS国立競技場駅の目の前なので駅の構内から見物している人が多かったようです。入場無料なんだから中で見れば良いのにとか思ったりして。

このステージの出演者はほとんどが芸能学校とか高校の芸能クラブの生徒や先生達。サコンナコンやカラシンから団体で来ていたようです。演奏者は子供が多いけど芸能学校で専門にやってるのでそれなりにしっかりしてますね。

写真はタイの古式武術(ムアイ・ボーラーン)の舞踏とポンラン楽団を組み合わせたもの。中心で踊っているのは古式武術の先生だそうだけど、自分の先生達の昔の先生でもあるそうだ。しかし楽器の演奏家である彼らが古式武術の先生から何を習っていたのか、不思議なところ。この人の本業は軍人だそうです。なかなかかっこよかった。

そしてメインステージから200mぐらい奥に入ったところのセカンドステージは大学のポンラン楽団のコンテスト会場。個人的にはこちらの方がずっと面白かった。

数週間前に予選を行って残った人達の決勝だそうで4楽団ほど(多分)が演じていました。これがびっくりするほど内容が良くて、どの楽団も演出とか良く出来ていてそのままショーとして成り立つような内容でした。出場していた楽団のうち3楽団はマハサラカム大学の楽団、つまりN先生の後輩達というわけで、今回はその応援も兼ねていたわけです。

こちらの写真はイサーン音楽のコンテストには珍しくこの日の決勝まで残っていたバンコクのラムカムヘン大学の楽団。演出は良かったし、歌手は歌もウォートも上手だったんですが、これが人気のポンラン・サオーンのイメージと重なってしまってマイナスイメージになっしまって残念。どうしても真似っぽく見えてしまうんですね。

コンテストの結果はやはりマハサラカム大学の楽団の一つが最も評価されたようです。3楽団も残っていたから当然かもしれないけど。

ゲストは人気歌手のターイ・オーラタイ。初めて生で見ましたが、小さくてかわいらしい娘さんですね。TVとかで見ると、もう堂々とした実力歌手にしか見えなかったので意外でした。

コンテストのゲストでこの人が出てくるのは定番らしいですね。というのもコンテストに出ては落ち続けて、というのを延々繰り返して最後には職業歌手になった、という美談があるからだそうです。

最後はポンラン楽団とモーラムの競演。見ている人はほとんど出演者なので異常に盛り上がって完全にディスコ状態でした。そもそも発表の時から舞台上で司会者が発表を引き伸ばして盛り上げていると、客席側ではケーンとかピー・プータイとか吹きまくってるという訳の分からない状態でしたが。

全て終了して片づけが始まったら今度はお笑いで舞台に上がっていた人(アイディンさん)と勝手に競演。このお笑いの人、普段は写真の自転車にアンプを積んで路上パフォーマンスをやってるらしいです。看板には仕事依頼の連絡先とかが書いてありました(しかも日本語と韓国語で)。

しかし運営関係者が来て「捕まるよ」みたいなことを言われて解散。「なんだよせっかく今タイダムラムパンを聞こうとしてたのに」とか言ってる粋な人も居ましたが。アイディンさんはアンプでモーラム鳴らしながら自転車こいで帰っていきました。知らない人だったら、かなり近寄りがたいというか危ない人に感じるでしょう。

学生のポンラン楽団を見るのは今回初めてでしたが演出も演奏力も総じて、想像したより遥かに良い内容だと思いました。

2007-08-17

セントラルワールドプラザにて

[9-30 追記: 9月28日(金)をもって終了しました。リラックスして好き勝手にセッションできる、数少ない機会だっただけにちょっと残念。]

[9-12 追記:9月14日(金)もやります。結局5週連続でやってますが、いつまで続くかはわかりません。相変わらず見る人は少ないので好き勝手にセッションしてます。]


[9-03 追記:9月7日(金)もまたやります。先日はここを見て見に来てくださった方がいらっしゃって、ありがとうございました。最後ルクトゥン・メドレーとかになっちゃってすいません。ルクトゥンのジャンルはほんと無知でして、やってる自分もさっぱり分かりませんでした。]

[8-29 追記: 翌週24日(金)もやりましたが、31日(金)もやります。観客も居ないので好き勝手にセッションしているという感じですが。デパートの一角でこんなことをやっていると思うと、なんだか不思議。]

17日(金)、セントラル・ワールド・プラザ(以下CWP)にて、いつもの先生達と演奏。CWPは伊勢丹の隣の建物で、昔ワールド・トレード・センター(WTC)という名前でしたがアメリカのWTCが崩れてから改名した建物です。一般的にはどちらの名前でも通じます。



6階のアジア風雑貨の店が大量にある場所。今年の改装オープン後ここに来るのは初めてなんですが、見た感じサヤーム・パラゴンの同様の高級店に比べるとかなり理解できる価格設定のようですね。その中の小さなステージ、5人で座るともういっぱいいっぱいですがなかなか綺麗なステージです。演奏しては30分間休みを4回。といっても特に観客が居るわけでもなく、言わばBGMのような存在といった所でしょうか。普段はタイ中央音楽の楽団がやっているそうです。

途中N先生がケーン独奏をはじめたので写真撮影。久々に聞くとやっぱり良い、聞き惚れました。

全体にスタンダート曲と即興が半々ぐらい。有名なカイモットデーンとかをやるとやはり人が集まってきて喜ばれるようですね。そういうの以外ではちょっと座って聞いてはどっか行っちゃう、そんな感じ。自分は最近演奏してなくて緊張したのと、座って演奏するのに慣れていないのもあって足がつったりして四苦八苦しました。

写真は差し入れの酒。プータイ・レーヌー族 (ภูไทเรณู) の象徴と言われるラオ・ハイ、ラオ・ウ等と呼ばれる酒をOTOP製品化したもの。

石膏のような蓋を取ると中にもち米のモミやハーブが見える。これに水を注いで葦のような植物のストローを刺して飲む。味は甘めでやはりもち米から作るラオ・サートーに近い味。飲んで無くなったらまた水を足すのを繰り返し、味が薄くなったらビールでもラオカオでも足して良いそうだ。飲み始めたら三日ぐらい、蓋を開けなければ数ヶ月保存できる。詳しい説明はこの辺で。休憩のたびに飲んでいたのでちょっと酔っ払った感じで丁度良かったです。

2007-07-24

ルアムチャップクラップ(เรือมจับกรับ)

最近、子供楽団にてルアムチャップクラップ(เรือมจับกรับ)を練習していた。

この曲はスリン地方のクラップという打ち木を持って男女が踊る遊戯から発生したものだそうで、つまり元々はカントゥルムの一種。それをポンラン楽団用にアレンジした物が、やがてスタンダードの一つになったと言われている。語頭に「ルアム」が付くカントゥルム由来の曲が多いが、これはクメール語で「踊り」を意味する。つまりタイ語のラム(รำ)と同じ。

しかしこれが他のイサーン音楽由来のもの勝手が違って非常に覚えにくい。子供楽団では旋律は全て口頭で伝えるのだけれど、2回の練習でやっと、とりあえず伝え終わったくらい。

カントゥルム由来の曲が他のイサーン由来の曲と趣が異なるのは、クメールとラオの音楽の違いというのも有るけれど、本来楽器の主役がソー・カメーンと呼ばれるカンボジアの擦弦楽器(胡弓のようなもの)である為。これが基本的に全音階しかない他のイサーン地方の楽器とは異なった味の旋律を奏でる。

ところで旋律が覚えにくいので手っ取り早く採譜しようとネット上で探したが、サンプルが全然見つからないか、有ってもごく一部分だけ。ポンラン楽団用としてはカントゥルム系の曲は割とマイナーなのかもしれない。しょうがないので練習中の全然旋律が定まらない音から採譜した(これ)。その譜を眺めてみると、その覚えにくさの割には全音階からはみ出しているのはドレミでいえばファ#だけ。ということはキーGと考えれば良いのか、と思うとそれでもやはり理解できない部分が多い。で、結局これはキーDとキーCの旋律が交互に混じっている曲であると考えるとしっくりくるようだ。イサーン音楽由来の曲では転調は滅多に無いので、やはり随分と趣が異なる。

ちなみにこの曲、F#を多用する為、ポンランやケーンはほとんどの部分で演奏できないので、ポンラン楽団でやる場合はピンしか活躍できないと思って良い。もちろん楽団にソーが居ればカントゥルムらしさが出て最も相応しいのだけれど。


ところで古典ではないけれど、Monsoon Countryにて現代カントゥルムの歌手ダーキーの曲が公開されていたので聞いてみた。歌詞がほとんどクメール語であることとソー・カメーンの音が始終聞こえること以外、これはもうルークトゥンモーラムの分野とほとんど変わらないように思える。ただ面白いと思ったのはこの二曲目がポンランのスタンダード曲のソァーンガポー(เซิ้งกะโป๋)に旋律も構成もそっくりなこと。ライノイ(F)でやればまさにぴったりと重なってしまう。

現代カントゥルムとカントゥルム歌手ダーキーは日本でも有名らしく、以下のような記述が有った。

2007-07-12

ラムの歌詞理解を試みる

ラムの伴奏法を身に付けたいと常々思いつつ、ラムクローンを聞いたりラオスのモーラムに習ってみたり(ちょっとだけだけど)と色々やってみてはいるけどなかなか理解が進まない。どうも進歩が無いので必要なことを整理してみる。

以前イサーン楽器の先生に聞いた、ラムの伴奏に必要な知識は以下のような事柄。
  1. 構造を知る。
  2. リズムに追いつき、リズムの切れ目がどの音か知る。
  3. 詩の意味内容を知る。
  4. 旋律を知り、モーケーンも歌えなければいけない。
ラムの構造とは、例えばスッサネンのラムクローンなら前奏があり、語り(ローン)が有り、リズムパートに入って、終わりの挨拶で急激にスローダウンして終わる、等。

リズムの切れ目は、つまり歌い手が息を吸う手前のリズムが落ちる瞬間。このときケーンは和音を入れるけど、歌と合わないといけない。これは歌い手次第なので、練習相手を見つけてから徐々に知るしかないかもしれない。リズムに追いつくのは、それが分かった上で練習するのみ、ということか。

そして「意味内容を知る」が超難関。ラムの内容はイサーン語やラオ語だし、モーラムだけで使われる語(パーサー・モーラム)も多く、普通のタイ人が聞いても理解できない単語も多い。

最後の「自分も歌えること」も難関。ラムの旋律は言葉の抑揚によって生れる、というほどに言葉と密接な関係がある。言葉を理解せず旋律だけで覚えるのはまず無理と最近分かった(今ごろ)。

そんなわけでまず内容理解のとっかかりとして、即興ものは避けてしっかり構成されて分かりやすそうなポンラン楽団とモーラムによるラムプーン(ลำพื้น)の一曲の理解を試みた。この歌は8月12日の母の日(王妃の誕生日)を歌ったもので、ラムとケーンの伴奏では無いけれど自分の周りの先生達やその弟子の間に非常に流行っているもの。自分で書き取るのは能力的に厳しいので、まずはbaanmahaの試聴掲示板にポストしたら、これを見てこの歌を気に入った人が内容を書き取ってくれた。これは詩の内容理解にかなり役立った。

これを元に、人に聞きながら間違いを直しつつ、リズムに区切って表にしてみたのが以下のもの。
これを見ながら何度も聞いてみると、不思議なくらい合わせて歌えることがわかった。これを覚えるまでやればよさそうだ。

そして試しに身近の音痴なタイ人に見せて同じようにやってもらって見た所、リズム枠の通りに歌えば一致するのでやはり正確なリズムで歌えた。もともと旋律は言葉の抑揚に沿って上下している為、これだけで音の上下とリズムは把握できる(この人、音痴なので音程は正確ではないけれど)。そんなわけで、この試みは収穫が有った思う。

ところでこのように歌詞をリズムに区切って見ると、西洋音楽で言う拍子の一拍目が枠の最後に来るようにすれば、単語のほとんどが綺麗に枠の中に収まるようになる。もしかしてタイ式楽譜の一拍目が枠の最後にあるのもこういう理由なのかな?と思った。参考: タイ式楽譜の読み方

2007-06-25

壮行会

23日、いつも世話になっている先生達が演奏旅行へ行くということで、記者会見を兼ねた壮行会に参加。

目的はスミソニアン・フォークライフ・フェスティバルというイベントで、世界各地のミュージシャン、ストーリーテラー、アーティスト、シェフといった各分野の才能たちがワシントンのナショナル・モール地区で約二週間パフォーマンスを行うというもの。メコン川流域の各民族に焦点を当てた部門として、中国、タイ、ラオス、カンボジアの各国の省庁も参加する合同イベントだそうです。全然知らなかったんですが、上記のページを見てみると、毎年恒例の文化イベントとしてはアメリカ最大規模なのだそうだ。

壮行会ではケーン楽団の披露も有ったので、自分も加わるのを楽しみにしていたのに渋滞で遅れて参加できず、着いた時にはパフォーマンスが終わるところでした。でもマハサラカムのケーン楽団の皆にまた会えて嬉しい。壮行会の後は楽器の梱包をしながら好き勝手に楽器を鳴らしてワイワイとやって、この日皆が宿泊するホテルへ。

ホテルに付いたらさっそく部屋で練習。ケーン楽団で使うケーンヤイは長いので天井に突き刺さらないよう注意しないといけない。ビールを飲みつつ深夜までワイワイとやって就寝。

それにしてもこの人達、本当に会うたびに年中楽器を弾くか歌うかしている。今ごろはワシントンに向かう飛行機の中でワイワイやっているんだろうか、と思うと回りの乗客に同情する。

写真は梱包中のケーンとピープータイ(プータイ族の笛)。ピープータイはそれぞれ異なるキーのケーンに合わせて作るのと、繊細で音が歪みやすいので何本も用意している。また製品化されたものは無いので各自が自分で作るか、ケーン職人に特別に注文して作るもの。

ビデオはホテルにてラムを練習中の様子。N先生の伴奏に後輩のラム。

2007-06-20

モーケーン・ファラン

最近は西洋人のモーケーンも結構居るらしいんですが、中には凄い人がいるもんですね。

クリストファー・アドラー - Wikipediaより
クリストファー・アドラー (Christopher Adler)はサンディエゴ出身のアメリカ合衆国の作曲家、ピアニスト、即興音楽家、ケーン奏者。1972年生まれ。(中略)マサチューセッツ工科大学で数学と作曲を学んで学士号取得後、博士号取得までデューク大学で作曲を学んだ。奨学金をもらってタイへ留学しケーンのプロ奏者になるべく研鑽を積んだ。西洋楽器とシャム伝統音楽楽器の混成アンサンブルの作品を世界で初めて作曲し、世界中の音楽学関係から注目を浴びる。 その傍らで即興音楽アンサンブルNOISEを結成し、全米中で公演を行っている。現在はカリフォルニア大学サンディエゴ校で助教授として教鞭を取る。
うーん、インテリです。 Christopher Adler: Recordings のページにて、いくつか作品が公開されています。正直、西洋楽器やタイ中央楽器とのアンサンブル等の現代音楽的な作品はさっぱりわかりませんが、このページ中のライヤイ(Lai Yai Lam Tang Yao, improvisation in a traditional Northeast Thai style)のライブ録音を聞く限り、本来の伝統的スタイルにおいても正真正銘のモーケーンですね。マハサラカム大学の客員教授だった時もあるそうで、どおりで自分の先生達の中にも何人も知っている人が居ました。

[070701追記: この人の文書のページを見ると、「ケーン: 作曲家の為のノート (Khaen: The Bamboo Free-Reed Mouth Organ of Laos and Northeast Thailand: Notes for Composers.) 」という文書が追加されています。ケーンを使う曲を書くのに必要な知識(構造、演奏法の特徴、スケールと和音、ドローン、テクニック面で出来ることと出来ないこと、等)を簡潔に記述したもので、短い文書ですがコンポーザがケーンを使う曲を書くのに知っておくべき事柄がきちっと書かれています。これを見ると、やはり演奏家であると同時にコンポーザとしての一面を強く感じます。]


もう一人、Jonny Olsen というモーケーン。こちらは現在もタイで活動している人で、youtubeの本人のプロファイルを見ると分かりますが独奏のCDを出したり、歌手として歌っているプロモやTV出演の録画を公開して積極的に宣伝しています。タイのショービジネスに飛び込んで笑いを取ったりしながら頑張っているといった感じですね。スタイルは俗っぽいけど海外にイサーン音楽を広めたいという意欲も感じます。演奏は上の人に比べたら普通ですが決して悪くない、というか分かりやすくて良いと思います。

[080302 追記: その後、彼のyoutubeにはライノイとライソイの独奏が加わっています。特にライソイのケーン独奏は、一般的に難関と言われていまして、演奏はまだ十分では無いとしても、「ここまで来た」という目安に成るのではないかと思います。

また、ラオスで製作した新DVD「ヤーク・ペン・コンラオ」の宣伝を兼ねて、Voice of America のラオス版に電話インタビューが出てます。発音を聞く限り、学校でちゃんと習ったことが無いようですが、言葉は問題なく理解できるようですね。ラオス人の機嫌を取るような発言もばっちり。おそらくイサーン地方で自然に覚えたイサーン語からラオス語も自然に身につけたのだと思われます。たいしたものですね。]



この二人を並べると対極的というか方向が240度ぐらい違いますが、モーケーン・ファランと言ってもそのくらい幅が広いということで。ところでこの中間ぐらいの人は居ませんかねー。

2007-06-13

TV9ch「クンプラチュアイ」

TV9chに毎週火曜の夜「クンプラチュアイ」という番組が有る。この番組、タイの伝統音楽を題材としたコーナーが有り、たまにイサーン音楽の話もあるので興味深いことがある。

で、いつも見るわけじゃないけど昨日なんとなく見ていたら、ピープータイ(プータイ族の笛)を紹介をはじめた。こういうものがメジャーなメディアで取り上げられることなんてまず無いと思っていたのでこれは珍しいとびっくりしていたらその後、いつも世話になっているN先生とA先生、それに子供楽団の天才ポンラン少年の三人が出てきて二度びっくり。

内容はプータイとアフリカの民族音楽の競演。つまり3月のRama8橋でのブルキナファソの楽団との競演を形を整えて再現した、ということのようだ。あの時ポンラン少年のアドリブが凄くはまっていて少年を誉めまくると本人は「うーんでたらめだけど」とか言ってたけど、実際良かった。

しかし何の前触れも無く出てきたのでポカーンとした後、思わずTV画面を写真に撮ったりと変なことをしてしまった。そういえばこの番組のレギュラーの西洋人トッドさんはあの民族音楽コンサートシリーズの主催の人だったので、もともと自然な繋がりだったんだな、と納得。


(06-18追記)N先生とポンラン少年が16日の深夜の番組にもまた出てきた。今度は3chのクイズ番組。今度は終わる間際で演奏は見れなかったけど。偶然2回も見たということは、あちこちに出まくっている?

右の西洋人がトッド・トーンディーさん。民族音楽の分野に焦点を当ててレーベル運営やコンサート主催、流暢なタイ語で司会、と精力的に活動している。

N先生とA先生は来週からアメリカへ演奏旅行に行くそうで、ちょっと寂しい。

2007-06-11

バンコク都庁前にて

6月10日(日)は、バンコク都庁前の広場にて演奏。

広場を挟んで都庁の反対側には建て直したばかりの鳥居みたいな形の巨大ブランコの柱があって、これはバンコクの観光名所でもあります。巨大ブランコはヒンドゥー教の儀式で使われるもので、一般にサオチンチャー(ブランコの柱)と呼ばれています。

今回は都庁前広場での特設マーケットのための催し物で、広場は店舗のテントで埋め尽くされていました。

演奏内容は相変わらずポンラン楽団のスタンダード舞踊とルークトゥン・モーラムですが、今回はお笑いの部分がかなり多くて久しぶりに日本人対タイ人の腰振り合戦をやらされました。メンバー紹介で前に呼ばれて、「このケーン吹いている人はタイ人じゃ無いんですよー」と始まると大体こういうパターンなんですが、ちょっとソロをやって「腰の振りがまだまだだねー、本物のタイ人と比べてみましょう」というと凄い腰使いのタイ人が出てきて競い合う、というたわいも無い内容。

これがウケてるのかどうなのか、正直よくわかりませんが、きわめてタイ的なお笑いの定番ということで、しょうがないですね。正直に言うと、やっている方の自己満足のような気もするんですが。

ちなみに今回は出演者全員、無償ボランティアだそうです。

2007-06-08

ビエンチャンでモーラムに会う

再びビエンチャンに来た。

市内中心部の噴水広場前の道路は前回と変わらず工事中。たぶん日本の協力でやっているのだろうけど、進展しているように見えないばかりか更に下水道か何かを掘りはじめているようで酷く歩きにくい。いったい何ヶ月間こんなことをやっているんだろうか。

今回はモーラムを紹介してもらってラムの伴奏の手ほどきを受ける、という目的が有ったのでさっそく前回モーケーン・トーンスァーイに会った図書館へ向かったが休暇中で不在ということで、とりあえず館長さんとお話。

前回も訪れた図書館の資料室。前回は気付かなかったけど今回よく見てみると、これらはまさにモーラムの原点を示す古文書なんですね。棚の一つにはチャードック (ชาดก) と書いてあり、椰子の葉等で作った書物の形をしている。以前の資料の通りで、あぁこれがそうか、なんて思った。

館長さんのはからいで夜はなんとかトーンスァーイさんと待ち合わせすることができ、その後公用トラックで郊外のモーラムの家に向かう。胴体に日本語で「お話プロジェクト」とか書いてある車で、これも日本の支援の一部なのだろうか。

モーケーン・トーンスァーイ(左)とモーラム・ソムブーン・ペットマーニー(右)。

2時間ほど手ほどきを受けることができたので、今回もトーンスァーイさんの手本をmp3プレーヤーで録音しておいた。録音の質は悪いけど。

(6-13追記:録音を編集しなおしました)

Morlam Sombun PhetMaNi and Morkhaen ThongXeuy UThoumPhone 2007-06-07 Vientian
  • SutSaNaeng rythm part スッサネンの後半のリズムが入る部分。
    まずスッサーネン、前奏と語りのところは何とかなるんだけれど、後半リズムが入るとこれがラムと全然合わないので手本を示してもらった。これは時間をかけないとだめなようだ。ケーンはAmスケール。
  • LamSing ラムシンの手本。
    前半は語り、後半はおなじみのラムシン。モーラムとして成功したモーラム・ソムブーン本人の生活を歌っている。ケーンはAmスケールでライノーイ(Dm)。トーンスァーイさんはこれを自分にやらせたいらしく、何度も何度もやらされた。
  • ToeiKiao トァーイの手本。
    最初はラム無しでライヤイ、その後ラム有りでライノーイ。ケーンはGmスケール。
右は練習中の図。トーンスァーイさんが撮ってくれたけどなんだか構図が変ですね。

初めてのラムの伴奏で、たった2時間程度なのであまり身についた気はしないが、まぁよい経験になった気がする。モーラム・ソンブーンさんは非常に良い声で、それを目の前で聞くこともできたし。お祭では二日間眠らずに歌い続けることもあるそうだ。

それと、モーケーン・トーンスァーイさんからケーンを習う日本人は何人も居て、「これだけできます」という証明書を何度も書いたそうだ。ということはラオスでケーンを習う日本人は何人も居るということで、これは意外なことだった。トーンスァーイさんから習ったことがある人とお知り合いになりたいところです。

ただ予想外の問題だったのが、トーンスァーイさんは普段はなるべくタイ語を話すように気を使ってくれるのだけど、タイ語を使って教えているのを役人が聞いたら問題になるということで、録音を公開するとなるとラオ語でなければならないのだそうだ。これは想像もしない事だった。ラオ語が聞き取れない上に、お土産に持って行った強い酒のせいで、説明を聞いても途中からわけがわからなくなった。

今回は本当は一週間ぐらい習うつもりだったのだけど急にバンコクに帰らなくてはならなくなり、今回手ほどきを受けたのはこれだけ。また機会を見つけて行きたいが、現在タイ国内でとても興味を引かれる地方があるので、次回はまずはそちらを攻めてみたいと思っている。

それにしてもケーンを持って旅行に行くといろんな人から吹いてくれと言われる。ビエンチャンの噴水広場前やノンカイのイミグレなど変なところで吹いたけど、わいわいと人が集まってきて踊り始めたりして面白かった。

2007-05-29

ネットで試聴するプータイ

最近プータイにこだわっていたので(こればっかり)、ネットでプータイ風の楽曲を試聴するリンク集でも。メジャーなルークトゥン・モーラムはいっぱい有るでしょうから除いています。

試聴と言えば、まずはbaanmahaの掲示板。音は酷いけどサンプルということで。
と、ここでちょっと モーラムシン・オンラインの掲示板 を見てみたら、ラムプータイとラムタンワーイのジャンル専用の板が有りました。
他にもgoogleさんに聞いてみると無数に有りそうですね。
  • ฟ้อนภูไท
    ちょっと凄いなと思ったのが古典舞踊のページから、まさに古典のフォーン・プータイ。舞踊用。
プータイに限らないですが以下、興味深いところ。
  • Monsoon-Country » Laos
    東南アジアの民族音楽を収集しているMonsoon-CountryのLaosカテゴリーでは、ラオスの主な土地の歌を種別毎にきちんと分けて簡単に説明している(最後、はしょっているけど)。

  • Traditional Music and Songs in Laos
    ノーザン・イリノイ大の東南アジア研のラオス、サワンナケートのプータイの踊りの為の曲を含む。
    ここのケーン独奏のサンプルアルバムとか、どれも思いっきりラオスの素朴な伝統的スタイルで、その方が興味深かったりして。
ネット巡りを始めたらきりが無いので、このくらいで。
ここで停電、でも自動保存されてました。blogger.com偉い。

2007-05-22

テレビで見るラムクローン

ケーンとモーラム(歌手)だけで演ずるラムクローンの類は今やタイでも随分マイナーな分野になってしまっているわけですが、ごく一部のテレビ番組で定期的に見ることができます。

写真はASTV4の番組の画面で、今月は一日おきに朝6時半ぐらいからやっているラムクローンの録画放送のもの。ごくたまにですがチャウィーワンさんやポー・チャラートノーイといった国宝級モーラムも出てきます。

ASTVは新聞社プーチャッカーンの社長ソンティ・リムトーンクンがオーナーの衛星放送で現在4つほどのチャネルがあり、その一つがこのイサーン・ディスカバリー・チャネル。番組は全て、ニュースに至るまでイサーン語だけを使うという徹底ぶり。一般的なケーブルテレビ受信機を設置しているアパート等ではほとんど見ることができると思います。

今月は早朝、一日置きにラムクローンとポンラン楽団の録画を放送しているようです。ポンラン楽団はあちこちの県の子供の楽団ばかりで同じ録画が多いのですぐ飽きちゃうと思いますが、レパートリーの流行とかを見るのが自分には役立っています。他にもラムルアン・トークローン(モーラム芝居)も時々ありますが、これはもう全然聞き取れなくて内容がわかりません。

残念なのは音が悪いこと。衛星の帯域節約かケーブルテレビの設備のせいかわかりませんが、時々VCDが読み取りエラーを起こしたように止まってしまう事もしばしば。それとオーナーが新聞社プーチャッカーンの社長で民主主義市民連合のリーダーということもあって、時々政治集会や演説に占拠されてしまうことですね。とはいえラムクローンが見れるようなテレビ局は他に無いので、やはり貴重なチャネルだと思います。
  • 番組表 (イサーン・ディスカバリーは最後の表)
ちなみに自分が払っている受信料は一ヶ月100B。NHKワールド等も含まれていて70チャネルぐらいあります。

2007-05-15

プータイ語

プータイ語に関する記述を抜粋メモ(最近プータイに凝っているので)。

サコンナコンのプータイ語に関するこちらのページ ผู้ไท では、プータイ語はラオ語とタイ中部語が訛って変化した言語として解説している。

タイ語とプータイ語の対応規則があったので、以下に表にしておく。声調においてタイ中部語と一致しない面も多く、タイ語の書き言葉で説明することはできないが、これらは部分的に説明できそうな原則。


変化(タイ語⇒プータイ語)例(タイ語 - プータイ語)
母音の対応母音 เ-ีย ⇒ เ- (ia ⇒ ee)เมีย - เม / เขียน - เขน / เขียด - เคด
母音 เ-ือ ⇒ เ-อ (ɯa ⇒ əə)เสื่อ - เสอ / เลือด - เลิด / เมือง - เมิง
母音 -ัว ⇒ โอ (ua ⇒ oo)ผัว - โผ / ด่วน - โดน / สวน - โสน
一部の語において
母音 ไ, ใ, -ัย ⇒ เ-อ (ai ⇒ əə)
ใต้ - เต้อ (一声と二声の中間に訛る)
ใส่ - เชอ
ให้ 「(物を)あげる」 - เห้อ (訛る)
ใหม่ - เมอ
一部の語において
母音 -ึ ⇒ เ-อ (ɯ ⇒ əə)
ลึก - เล็ก / ผึ้ง - เผิ่ง (訛る)
子音の対応一部の語において
子音 ข ⇒ ห (kh ⇒ h)
เขียง - เหง / ขาย - หาย / ของเขา - หองเหา / เขา (動物の角) - เหา
子音 ร ⇒ ฮ (r ⇒ h)เรือ - เฮือ / เรือน - เฮือน / รอย - ฮอย / ร้อง - ฮ้อง / รีบ - ฮีบ
末子音の変化一部の語において
末子音 -ก ⇒ 消失して短母音に。
แตก - แต้ะ / แบก - แบ้ะ / ผูก - พุ / สาก - ซะ / ปาก - ป้ะ

"一部の語"となっているのは、例外もあるという意味。例えば ไก่ は เกอ とはならず ไก だが第一声が少し訛ったものとなる。

以下はタイ語起源では無い語の例(タイ語 - プータイ語)
  • สิ่งของหาย - เฮ้
  • หายเจ็บหายไข้ - ดี๋เจ็บดี๋ไข้
  • ท้ายทอย - กะด้น
  • ผิดไข้ - มึไข้
  • ไปไหน - ไป๋ซิเลอ
  • ผู้ใด,ใคร - เพอ
  • อยากกินข้าว - เยอะกิ๋นข้าว

バンコクのタイ語との比較では、一致する語が36.73%、似ている語が36.05%というデータがあるそうだ。
非常に似ている語の例
ไก่ - ไก / ตา - ต๋า / นิ้วกลาง - นิ้วกาง / ปืน - ปื้น
やや似ている語
ปาก - ปะ / เสื้อ - เชอ
少しだけ似ている語
แขน - แหน / ขา - หา / บันได - คันได๋ / บวบ - มะโบ้บ
はっきりと異なる語 27.21% の例
มะละกอ - มะฮุง / ฟักทอง - มะจู้บ / ส้มโอ - มะเก๊ง / พระ - ญาคู / เณร - โจ๋น้อย / ช้อน - โบง / ทำ - เอ๊ด
同じか似ている語を合わせると72.78%となることから、プータイ語とバンコクのタイ語はやはり同系統の言語と見なされる。

上記の例のうち非常に異なる語の「พระ(僧侶)」や「เณร(少年僧)」等の呼称については、仏教をまだそれほど受け入れていなかった頃、各グループで呼称が異なったことによると考えられている。

野菜や果物の呼称が大きく異なるのも同様で、かつてタイ人が皆近くの土地に暮らしていたころは、パパイヤ、かぼちゃ、サボン(ส้มโอ)のこれら三種の植物はまだ無く、各民族が各地に散らばって行った後に入ってきたと考えられる。

ところでプータイ語とイサーン語との比較では、同じ語が37.67%、似ている語が52.14%で合わせて89.81%となり、これはもう疑うことなくプータイ語とイサーン語が同じ系統であるだけでなく、かつては同地域に住んでいて、ラオ族がルアンプラバーンからヴィエンチャンやサコンナコンのメコン川流域に南下してきたころに散らばって行ったのだと考えられている。シップソーンヂュタイの地域には今でも居住しているプータイ族のグループも有り、彼等はラオ語に依存している為、言語は非常に似たものとなっている。

この他タイダム語との比較では、やはり同属の言語で200年以上前に分岐したと考えられている。

その他のソース

タイ版Wikipediaの記述 ภาษาผู้ไท では、プータイ語はタイダム語から派生したものと位置付けている。

イサーン音楽のサンプルがいっぱい聴ける baanmaha のフォーラムにはプータイ語に関するボードも有って、投稿数は少ないけど歌詞の意味を質問しあったりしている(このトピックとか)。

そもそも標準イサーン語をもっと勉強するべきだけど、この辺の話もそのうち役立つかも。

2007-05-08

プータイについて

イサーン音楽でよく出てくる言葉「プータイ」について、デイリー ルークトゥンでkomtaさんが言及していたのでちょっとまとめておきます。


プータイという語

プータイという語は ภูไท / ภูไทย / ผู้ไทย などと綴り、民族名としてのプータイと、その民族の音楽としてのプータイという二つの意味で使われる。代表的な辞書では ผู้ไทย となっているが、音楽分野や歌詞の中では ภูไท 又は ภูไทย と綴られることが多い。

民族としてのプータイ

現在はラオス北部やイサーン地方(ナコンパノム、カラシン、ムクダハン、サコンナコン、一部ウボンラーチャタニー、ウドンタニー、ルーイ、ロイエト等)に多く住む民族。

プータイ民族はかつてシップソーンヂュタイ (สิบสองจุไทย) やシップソーンパンナー (สิบสองปันนา) と呼ばれる地域(現在のラオス北部やベトナム)に住んでいた。 歴史の中にはプータイ民族の首領がビエンチャン王国の反乱を鎮圧するのに活躍し、ビエンチャンの王から娘を与えられて結婚し、生れた子供に地位を譲って当人は多くの地方都市を統治した、という話がある。その後プータイ民族はビエンチャン王国の南やサワンナケート等へと広がっていって数々の都市を作った。

やがてタイのラタナコーシンのラーマ3世の時代、ビエンチャン王国はタイと敵対してタイ軍に破れ、タイ王国の方針で、今後プータイやその他の民族をビエンチャンやベトナムに加勢させないように、メコン川のこちら側(現在イサーン地方)に移住させた。これがイサーン地方にプータイ民族が多くいる理由ということになるか。

その他詳細は以下のページで。
puthai (読みきれない)
文化庁のページ (読みにくい)

音楽分野でのプータイ

モーケーンの多くはケーンの独奏のアルバムを出すと、プータイという曲を録音している。人によってライヤイだったりライノイだったり、或いはその両方だったりするが、総じてゆったりとしたリズムでどれも一部に似た旋律が現れる。

ラムクローンもある。内容はもちろんプータイ民族の事柄。

ルークトゥンモーラムで題名にプータイが含まれる曲にも、やはり終始プータイのゆったりとしたリズムと旋律が現れる。


ちなみに自分が好きなのはピーイサーン (ปี่อีสาน) という笛が主旋律で、ケーンやピンがその伴奏をするもの。ずっしりとしたリズムでライヤイから入り、気分に応じてライノイに転じて盛り上げる、この伴奏をするのが自分は好きです。ピーイサーンは ピープータイ (ปี่ภูไท) とも呼ばれるので、まさに「プータイ民族の笛」ということもできる。

ポンラン楽団では有名なスタンダード曲のプータイ・サームパオ (ภูไท ๓ เผ่า) を頻繁に演奏します。「プータイ三民族」の意味で、プータイ・サコンナコン、プータイ・カラシン、プータイ・ナコンパノムのそれぞれの民族の旋律で構成されたセットで歌も少し入ります。

自分がナコンサワンやラーマ8橋で参加させてもらったポンラン楽団の名前は『หนุ่มภูลาว สาวภูไท จากกาฬสินธุ์』で、つまり「カラシンから来たラオの若者とプータイの乙女」という意味。この時にやったプータイ・サコンナコンは導入がダンサーの太鼓とケーンだけで、とても気持ちよかった。

というわけで「プータイ」は非常によく聞く言葉なのです。

2007-04-30

ルンピニ公園にて

29日の日曜日はルンピニ公園にて子供楽団の演奏会に参加。

あいにくの雨の中、公園の中心にあるウェーティー・パーム。遠目に見るとこじんまりとした小屋のようだけど、中は意外と広い。ポンラン楽団とタイ中央楽団がすっぽり入って、前部で舞踊ができるくらいで、かなり余裕が有る。

ここでは毎週のように演奏会が行われているのだそうだけど、今まで全然知らなかった。この催し物は新聞のマティション等が協賛しているらしい。

演目はタイの各地方のそれぞれの音楽と舞踊を順番に。中部、北部、南部、と来て例によってイサーンは一番最後なので我々はひたすら待つ。

途中バンコクのアピラック・コーサヨーティン知事が挨拶に出てきた。写真の赤い服の人。知事であることと関係ないんだけど、アピラック知事はハンサムなことで有名。しかし我々は舞台にいるのでほとんど後ろ姿しか見えなくて残念。でもちらっと顔が見えたときは、確かに俳優みたいな顔をしてた。

ポンラン楽団の演奏は無難に、ファーヤート (ฟ้าหยาด)、ナーンポムホーム (นางผมหอม)、タイプアン (ไทยพรวน) の3つ。最近新しく高校生が太鼓(クローンヤーオ)の担当になったんだけど、なんだかリズムが安定しない。ゆっくりになってきたのでここで終わるのか、と見せかけてまたテンポが戻ったりして、フェイントをくらったみたいで笑ってしまった。

2007-04-22

ナコンパトムにて

21日(土)はナコンパトムの寺のお祭で演奏した。ナコンパトムはバンコクの西隣の県。

夕方、バンコクから車で1時間ほどでワット・コンラートという寺へ到着した時は、踊りながら本堂の周りを行列して回る儀式の最中だった。イサーン地方ではよくある儀式だけど、普通タイ中部では見られない。そんな儀式がここナコンパトムにあるのは、昔ラオスやベトナムから移住してきた民族がこの辺に多く住んでいるからだそうだ。

行列の主役は太鼓とケーンの楽団。楽団はそれぞれ各村から来ているらしい。打楽器以外はケーンのみで、選挙カーに着いているようなスピーカーで拡声している。スピーカーは押し車に載っていて、これを人が押して楽団ごと移動しつづける、というスタイル。さすがにこういうスピーカーなので、怒鳴っているような音だけど、皆さんこれに合わせて何時間も熱狂的に踊りならが歩きつづける。
  • video1 村の楽団 (30sec/0.8MB)
  • video2 おばちゃん達も熱狂的に踊る (30sec/0.8MB)
こういう儀式だと、イサーン地方の多くではケーンに変わってピンがメインになっていることが多い中、タイ中部にあるこの地域の方が逆に古いスタイルを残しているのかもしれない。

我々は今回、バンコクの王宮近くのワットラーチャボーピット学校 (โรงเรียนวัดราชบพิธ) のポンラン楽団としてこの祭りに参加した。といっても実際のメンバーはほとんど職業演奏家で、この辺の細かい事情はよくわからない。

内容はポンランのスタンダードと舞踊、ラムクローン、お笑い役者、観客からのリクエストに応じたモーラムシン、等を適当に織り交ぜたものを、なんと4時間以上。今まで参加した舞台で一番長いものだった。楽器の演奏はいくらでも良いが、立っているのがつらかった。

途中司会兼歌手の人が「ケーン!」と一言だけ。ここでラムクローンに入るのだ、と理解するのに手間取った上、ライヤイなのかスッサネンなのかライノイなのか、何で入るのか分からず。が、ピンがフォローしてくれたので助かった。どうして即座に決められるのかよく分からないが、ピンがライノイだったので合わせて吹きまくっておいた。終了後、司会の人が「よかったよー」と声を掛けてくれたが、たぶん自分が職業モーケーンじゃないどころか外人であることを後で知って誉めてくれたのだろう。やはりそろそろきちんとラムクローンの練習したいところだ。

舞台は夜中0時半ごろ終了、バンコクの学校に戻って片付けが終わったのは2時。お笑い役者の人が「酒飲んでく?おごるから」と誘ってくれて、普段なら喜んで行くところだけど朝から夕方までの練習の後の舞台だっただけにもうヘトヘトなので遠慮した。職業演奏家の人達は毎日こんな感じなのかと思うと感心する。

2007-04-14

サヤーム・パラゴンにて

ソンクラーン(タイ正月)期間に入って、サヤーム・パラゴンの噴水広場にて、子供楽団で演奏しています。 13-15日の夕方2回づつ。

初日13日の内容はごく普通にマノラーの水浴びとファーヤートのセットをちょこっと。一回20分ぐらいづつ。

今回はポンラン楽団に必要最低限の人数しか居ないので、音とかかなり寂しいかも。ソンクラーン期間で皆用事があるので人が足りないようです。
この場所でやるということは、観光客向けでしょうか。パラゴンに来たのは久しぶりなのでちょっと中を見てみましたが、商品の値段の付け方が尋常じゃないですね。小さい茶碗200Bとか(普通50Bはしないように見えるもの)、小さい仏像2000Bとか(普通なら200Bぐらいに見えるもの)。びっくりしました。

追記:

二日目は初日以上に人が足りない上にうろ覚えの曲でぼろぼろ。夜7時半の部でちょっと持ち直したけど、これは酷かった。

最終日は5時半の部でピンとベースがチューニング合ってなくて、勘弁してという感じ。7時半の部はなんとか形になった。この楽団、1回目に度々問題が有るのが特徴というか困りもの。