2007-03-29

モーラムについて復習

[080303 追記:
モーラムの由来について、以前よりは日本語の解説を見る機会が増えてきた。それは良いのだが、ここタイでの一般的な認識とはかなり異なる物が見受けられるように思う。丁度一年前に書いた以下の文章はタイ人・イサーン人にとっての「モーラム」の一つの見解に過ぎないが、「モーラムとは」または「モーラムの由来」というテーマについて、タイ-イサーン人に近い認識を持つのに多少は役立つのでは無いかと思う。]

タイ文化センターに有った仏暦2544(2001)の資料から超意訳抜粋。

イサーン人とモーラム

イサーン人とはタイで最も多くの人口を持つタイ東北部(イサーン)に住む人々のこと。 特徴としてはイサーン語(タイ-ラオ語)を話し、女性は腰巻を着用する。もち米を主食とし、パラー (ปลาร้า, ปลาแดก) の味付けを基本とした料理を食べる。土地の音楽では楽器はケーンを主役とし、モーラムが最も重要な芸能と位置付けられている。

モーラムの語源

モーラムは、モー(หมอ) と ラム(ลำ) で構成される単語。

モーとはある分野での「知識者、熟練者、専門家」のこと。例えばモーヤー(หมอยา) は薬の専門家。

ラム(ลำ) については諸説が有り、以下の説は正しいかもしれないし、今後また別の説の新たな証拠が見つかるかもしれない。
説1
ラム(ลำ) は長い事物に対する類別詞。 例えばラムパイ(ลำไผ่) は竹、ラムナム(ลำน้ำ) は水流、ラムコン(ลำโขง) はメコン川、など。
土地の民話やイサーンの文学作品は非常に長いためラムと呼び、これらの内容やセリフを暗唱する人のことをモーラムと呼んだ。
説2
かつては土地の民話や文学作品は椰子の葉で作った紙や竹の皮、または竹そのものに記録された。 これらの記録された文学のことをラムと呼び、それを読んだり語ったりする専門家をモーラムと呼んだ。
語りや歌をイサーン地方やタイ南部でラムと呼ぶのに対し、タイ北部ではカップ(ขับ) と呼ぶ。 またタイ中部ではカップラムナム(ขับลำนำ) と呼び、ラムは歌の題名の接頭語としても多く使われていた。現在は ローン(ร้อง) まはた カップローン(ขับร้อง) という語が使われる。

モーラムとイサーンの社会

モーラムはイサーンの社会の変遷と共にその姿、内容共に変化してきた娯楽である。 その起源は各家庭で大人が子供や孫に話して聞かせる民話であった。これは子供の教育や躾という意味が有った。

また公の場、寺の催し物や葬儀等で民話を語る風習も有った。 主催者は椰子の葉の紙に記録された文学作品を読む専門家(モーラム)を呼ぶ。 特に多かったのは「ブッダの生誕 (ชาดก) 」等の文学作品、例えばサンシンチャイ (สังข์ศิลป์ชัย)、ターオスリヲン(ท้าวสุริวงศ์)、ヂャムパーシートン (จำปาสี่ ต้น) 等を読むのが人気で、これらの文学作品は優美であり、感情を込めた上品な言葉と優雅なリズムで人気があった。 これが時代と共に変化してきたのが現代のラムプーン(ลำพื้น) やモーラムクローン(หมอลำกลอน) のラムターンヤーオ(ลำทางยาว) の旋律で、いわゆるラムアーンアンスー(ลำอ่านหนังสือ) のことである。

モーラムの種類
モーラムプーン - หมอลำพื้น
民話や古事、歴史を語るもの。代表的なのが「ブッダの生誕」の物語り。 語り手は一人でケーンは歌い手の声域に応じてライヤイかライノイを使う。
ラムパヤー - ลำผญา
知識を駆使して若者が異性を口説いたり掛合いをするもので、パヤー(ผญา) という独特の韻文を使う。 バーリー・サンスクリット語の「哲学」や「知識」(ปรัชญา / ปัญญา) から来ている。
モーラムムー - หมอลำหมู่
モーラムプーンを元にして語り手を増やし、各人に劇中の役を与える。登場人物に合わせた衣装を身に着けたもの等はモーラムウィエン(หมอลำเวียง) やモーラムルアントークローン(หมอลำเรื่องต่อกลอน) 等と呼ばれ、ストーリーに応じて厳密に演じられる。
モーラムプルァーン - หมอลำเพลิน
モーラムムーの一種だが軽快で刺激的なリズムで楽しく夢中になる(เพลิดเพลิน) ような雰囲気を重んじる。ケーン以外にピン、太鼓等が加わってバンド形式を取ることもある。
モーラムクローン - หมอลำกลอน
モーラムムー同様、ラムプーンから発展して語り手が交互に演じるようになったもの。片方が質問すればもう片方が回答し、時には勝ち負けを競う。自慢をぶつけ合ったり罵り合ったりして負けを認めたら舞台を降りることもある。
モーラムキヤオ - หมอลำเกี้ยว
モーラムクローンの罵り合いがあまり上品ではないということで男女の口説き合い、からかい合い等の掛け合いになったもの。
モーラムチンシュー - หมอลำชิงชู้
モーラムキヤオに語り手がもう一人加わり、異性を奪い合うもの。決着がつく方法が決められている。更に語り手が加わるとモーラムサームクロァー(หมอลำสามเกลอ) と呼ばれる。
モーラムシン - หมอลำซิ่ง
イサーン人も多く都会に出るようになり、映画やルークトゥン、ルーククルン等に触れるようになると、やがてモーラムにもこれらに相当するものを求めるようになった。モーラムもこの要求に答えざるを得なくなり、ルークトゥンの形態と混じり合ってモーラムシンとなり、これがイサーン全土に急速に広まった。同時にかつてのラムクローンは急速に衰退しつつある。

モーラムの未来

資料ではこの芸能の未来について触れて終わっていた。 芸能の流行廃りを意図してどうにかできるものでもなく、土地の芸能が存続するかどうかは結局演じる人が発展し続けるしかないが、何もしないで成り行きに任せたら、かつての古いスタイルのモーラムは消えていってしまうだろう、という主張だった。

2007-03-25

国立劇場にて

24日は王宮前広場の隣の国立劇場 (โรงละครแห่งชาติ) にて、タイ文化センターの生徒達の公演。入場は一応有料だけどたった20Bと格安で出演者200人越えの公演が見られるわけで、これは結構お得ではないでしょうか。でもこういう公演の情報は自分でさえも直前まで知らず、ましてや観光客とかにはなかなか伝わらないように見える。ちょっともったいない。

毎度王宮周辺へ行くのは交通手段が面倒なんだけど、Rama8橋の件も有ったので今週は3回も来ている。ちょっと慣れてきたかも。

2007-03-24

Rama8 続き

民族楽器が集まる祭り、World Musiq Festival ですが、初日に続き3日目も参加させてもらった。

この日は西アフリカのブルキナ・ファソから来たパーカッションのグループが注目を集めていた。アフリカの太鼓は常に人気だけど、木琴もあって、下に瓢箪がいっぱいぶらさがっていてこれが不思議な音を出す。でも楽器の名前はわからず[6-18追記: ブルキナファソの木琴は Balafon(バラフォン)という名前だそうです]。

今回はどういうわけか観衆に西洋人がやたら多い。ステージ前で踊っているのはほとんど西洋人。見た感じカオサンの西洋人が大挙して来たんじゃないかという感じ。Rama8橋はカオサンから結構近いというのも有るし。

写真はポンラン少年が加わってブルキナ・ファソと競演。「イサーンと西アフリカの出会い」といった趣向だろうか。

全て即興だけど、ポンラン少年のテクニックが凄いもんでかなり受けていた。14歳恐るべし。

この日は前回と同じくカラシン楽団でプレーワー等のセットをやったんですが、合間にお笑い系アーチストの人が出てきて、なんとモーラムクローンの伴奏をやってしまいました。お笑い系アーチストの人、顔が怖いです。

初体験な上にちゃんと練習したことが無いので当然ですが、あまりできは良くなかった。なんとも歯痒いですね。こういうこともあるので、今後なんとかしてモーラムクローンを練習しないといけない、という課題が残りました。今、そのための計画を練っているところです。

2007-03-22

Rama8 Bridge にて

バンコクのRama8橋の下の公園にて、3月21日から25日まで、 Lavelle Entertainment 主催の「Rhythm of the Earth: World Musiq-World Bar-B-Q Festival」 というフリーコンサートが行われています(スケジュール)。先月のナコンサワンでのコンサートと同じシリーズで、初日21日はプータイ・カラシン楽団で参加しました。

なんだか行き方がよく分からないのでとりあえず王宮前広場に行ってそこらの人にRama8橋はどう行くの?と聞いたら、「あれだよ」と指差した方向に柱が見えた。歩いていけるよ、というので歩いていったら、すんごい遠かった。会場はチャオプラヤ川の反対側の岸なので更に歩いて橋を渡る、暑い。でも近くでよく見ると、結構きれいな橋だ。

午後3時、思ったより早く着いて会場はまだ整備中なので川岸で昼寝。そのうちにサウンドチェックが始まった。

このシリーズのコンサートは、あちこちの国から来た民族楽器の演奏家が大勢出て競演するのが特徴。我々の楽団だけでもダンサーを入れると20人近くになる。なのでリハーサルはこんなごちゃごちゃな感じ。

今回はスコットランドのバグパイプ楽団が来ていた。

生で見るのは初めて。バグパイプってチューニングに結構時間がかかるんですね。リハでも本番でも演奏する前は10分ぐらい調整していた。チューニング中は歩きながらお互いに距離をあけたり接近したりしつつ、舞台裏からずーっとどこまで行っちゃうんだろうかと思うくらい遠くまで歩いて行く。

バンコクは今も厳戒態勢で、この日も兵隊が警備中。バグパイプと兵隊という変な図だったので写真を撮ったけど、暗くて良く見えないですねこれ。

午後7時半、オープニング。結構華やか。司会は前回同様、タイ語ペラペラファランのトッドさん。

楽団メンバーはそれぞれちょこちょこと他のバンドに参加していたけど、我々の楽団の出番は夜10時半ということで、それまで宴会。スポンサーがビアシンなのでビールがいっぱい飲めて嬉しい。

そのうちにラナートのかっこいい演奏が聞こえてきたのでステージを見に行ったら、映画「ホームローン(The Overture)」に出てた、あの頭髪が無くてサングラスに髭の人、クンイン-ナロンリット・トーサガーさんの楽団が出ていた。TVでは時々見るけど生で見るのは初めて。写真はN先生がケーンで競演中。

午後11時近くやっと出番。プータイ・サコンナコンをメインに3つ程のシリーズ。自分は右隅で一生懸命ケーン吹いてます。

この後ジャムセッションをして、夜中0時半頃終了。汗だくで「ビールちょうだい」と言ったら、「もう全部無くなったよ」だそうでがっくり。あんなに大量に有ったのに。ぐったりして珍しくタクシーで帰った。

2007-03-10

ビエンチャンでモーケーンに会う、続き

コンタンからビエンチャン中心に戻って、今度は国立図書館を訪ねる。メコン川沿いの屋台の人や、ゲストハウスの人が皆知っているという有名なモーケーンが居ると聞いたため。

その図書館は「国立」と言いながらも、町のひなびた図書館のようなこじんまりした施設だった。入り口の女性に聞いたら、「そのうち来るから本でも見ていて」と言われてぶらぶら見学していたが、「やっぱり3時にならないと来ない」ということでゲストハウスに戻って休息。

2時間後また来てみると、今度は二階に通されて所長さんとお話しつつ、PCとかビデオ編集機がある部屋を見学。ドイツの協力で、土地の音楽や舞踊を記録するというプロジェクトが進行中なのだそうだ。ドイツの財団のことは以前、タイでも聞いたことがある。たしか今保存しないとどんどん消えていってしまう土地の芸能や音楽をデジタル化して保存するのに熱心な組織だったと思う。

そうこうしているうちに、モーケーン・トーンスァーイ・ウトゥムポーンさんがやって来た。この人は凄い。技術も凄いけど、非常に博識で興味深い話がたくさん出てくる。ラオスの様々な土地の旋律について語ってくれた。

例によって録音はあまり良くなく、ひずみも多少あるけど無修正で。ケーンはAm標準スケール。

A.ThongXeuy UThoumPhone 2007-03-09 Vientian
  • SutSaNaen スッサネン
    聞いた感じはイサーンのものとさほど違いが無い気がする。

  • RongYai-Noi ロンヤイ(ラムロンヤイ)、ロンノイ(ラムロンノイ)、及びアーンナンスー。
    モーラムで使う旋律、ロンヤイはイサーン地方でのアーンナンスー・ヤイに相当するのかと聞いたらちょっと違うようで、「アーンナンスーならこうだ」と最後に例を示している。
  • LamSing ラムシン
    ラオスのラムシン特有の旋律だそうだ。イサーンのラムシンとの違いとしてテンポを強調していた。タイではテンポが120くらいなのに対してラオスでは110くらい。これはラオスではケーンがリードするのに対してタイではピンやキーボードがリードするようになったから、という話。

  • Toei トァーイ・キャオ
    ラオスのトァーイであるトァーイ・キャオ。キャオは男性が女性を口説いたりすることかと思われる。

  • Vientian ビエンチャン
    その名もビエンチャンという曲。朝7時にこれを演奏する習慣が有るのだとか。ライソイのスケールで始まってライノイと交互に構成されている。
    これは技術的にかなり難しいんじゃないかと思う。以前ヤソートンで地元のモーケーンが演奏したのを聞いたけど、こんな風に流暢ではなかったので全然理解できなかった。

  • Lecture 1 いろいろ解説その1
    ラオス各地、サワンナケートの旋律、パクセーのシーパンドン、サラワン、マハーサイ等の例を少しずつ。ラム・プータイ、ラム・プルァーン、ラム・トァーイの例。プータイも土地によって違うこと。
    男女交互に歌うのに合わせる為にラム・トァーイ・ヤイとトァーイ・ノーイを切り替える手法、等について。

  • Lecture 2 いろいろ解説その2
    上の解説と重なるが、各土地の旋律。
    サワンナケートの基本旋律は、バンソーク (บ้านซอก)、コーンサワン (ครสวรรณ)、プータイ (ภูไท)、タンワーイ (ตังหวาย) の4つであること。
    その他、シアンクワン (เซียงขวง) 、マハーサイ等について。
    ビエンチャンではスッサネンを基本とし、トァーイ・キャオ等が多く、発展してリズムが早くなる一方で優雅さが失われること、等について。

全般にタイ語を使うように気を使ってくれてはいるが、ラオ語が混じる部分でまだ理解できない部分が多く有る。一通り、30分以上話を聞かせてもらった後、「それで、今回は誰の紹介で来たの?」と聞かれてちょっと困った。「メコン川の辺りの、いろんな人の紹介で」とそのまんま答えたけど。

ビエンチャンで習いたければ文書を出せば一週間とか二週間でも習えるよ、と言っていた。いつか機会が有れば、それも良いかもしれない。

モーケーン・トーンスァーイ・ウトゥムポーンさん。

演奏の技術もすばらしいが、非常に博識。実はかなり有名な演奏家なのではないかと思う。コンテストの審査員をすることも多いそうで、タイのウドンタニーでも審査員をしたことがあるそうだ。行き当たりばったりで、ちょっと普通では会えないような人に会っちゃったのかもしれない。

後ろはラオスの古文書の収納棚で、日本人の研究者とかが時々これを見に来るそうだ。

2007-03-09

ビエンチャンでモーケーン探し

ビエンチャンに来た。せっかく来たので地元のモーケーンを探してみる。

唐突だけど「モーケーンかケーン吹く人知らない?」とメコン川の川岸にある屋台でビールを飲みながら従業員のおねえさんに聞いたり、町中心の噴水広場でトゥクトゥクの人に聞いたりしたら、2箇所ほど会えそうな場所の情報が得られた。ビエンチャン東部にある芸能関係の学校と、街の真中にある国立図書館。

街の地図(ウドンタニ在住のギタリスト、おかあつさんにデジカメで撮って送って頂いたもの)によると、学校があるというコンタンという町が有名観光地のタートルアンという立派な寺から近そうなのでタートルアンで観光してから歩きで行ってみた。が、歩くにはすごく遠かった。道中どこで聞いても「ずっとあっちの方」と言われるだけ。でも最後に聞いた美容院の女性が親切にもバイクで送ってくれた。なかなかきれいな人だった。ガソリン代も受け取らなかったし。「コンラオチャイディーだからね」と自ら言っていたけど。

学校到着。看板をタイ語で無理やり読むと、 โรงเรียน ศิลปดนตรี แห่งชาติ と読める。 国立芸能音楽学校といった感じか。既に3日居てじーっと看板とか見てたら部分的にだけど理解できるようになってきたようだ。でもRはHで発音するので学校の「ロンリエン」が「ホンヒエン」になったりして聞き取るのはややこしい。これって昔ラオスがフランス植民地だったから?違うか。

ここの先生に聞いたら、モーケーンは早朝しか教えに来ないから、芸術センターの方に行きなさいと言われた。残念。でも今度は歩いていける距離。

途中でコーヒー飲んで休んだりしながら到着。この看板も無理やりタイ語読みで ศิลปกรศูนย์กลาง と読める。ラオス語では、読まない字が省かれたり暗黙の母音には母音を足したりして簡略化しているので、慣れたら意外と読みやすいのかもしれない。とは言え発音は全然違うけど。

ここに居たおじさんに聞いたら、向かいの集落に音楽関連の職業の人がいっぱい住んでるとのこと。

昼間から酒盛りをしている集落の奥のほうに行くと、モーケーン・アムパイさん(48)の住む家があった。この人は自分でケーンを作るので、軒下に材料の竹がいっぱいある。

家の写真は撮ったけど、話すのが忙しくて本人を撮るのを忘れた。ラオス語はなかなかちゃんと聞き取れないので。

アムパイさんは話をしながら自作のケーンでロンコン、スッサネン、ポサーイを吹いてくれた。Am標準スケールの非常に短いケーン。ちょっと吹かしてもらったが、かなり荒っぽい作りで非常に息を使うし音も一部歪んでいる。これは、作った本人しか吹けないんじゃないだろうか、と思ったりして。

mp3プレーヤで一応録音したが、低性能マイクで近すぎた為バリバリにひずんでいた。ノイズ除去の結果、だいぶ音が欠けている。

A.AmPhai 2007-03-09 KhonThan, Vientian
聞いたところ旋律はイサーンのものとあまり違いが無いようだ。「タイのとちょっと違うかな?」と聞いたら「タイのケーンなんて無いよ、ケーンは元々ラオの物だしイサーン人だってラオ人だろう」と言われてしまった。それもそうだ、聞き方を間違った。

アムパイさんは公務員で政府の依頼があれば外人客のために演奏に行くが、週末はケーンを作ったりビエンチャンの子供文化センターにて子供達に楽器を教えている。日本には2000年頃に埼玉のプラザホテルに演奏に行ったことがあるそうだ。タイには度々行っているとのこと。

2007-03-03

新学期

文化センターの活動は、先月一ヶ月の休みが明けて今日から新学期。

新学期の初日なので新入生歓迎の式典がメイン。ちょっと珍しかったのはラーマキエン劇の舞踊であるコーン (โขน) をお面や衣装を着けずに分かり易く解説してたこと。

役柄それぞれに感情や言動に合わせた動作があって、例えば猿の役が頭を傾けて首の後ろを掻く動作をしたら「怒り」を表す、などと決まっている。これを知っているとラーマキエン劇を見てもそれぞれの役柄の行動が理解できるようになる。写真は「愛している」の動作。動作を組み合わせて「俺は・おまえを・殺す」、「へっちゃらだよ」などと会話になっていたりする。ある程度理解できると面白そう。覚えきれませんが。

この日、3月3日は仏教で重要な日 (วันมาฆบูชา) ということで、夕方はワットプラケオの隣のサラーンロム公園の小さいステージでポンラン楽団のスタンダードをやった。文化センターの子供と大人の混成の小バンドでダンサー一人だけ。すごく小さいステージなので、前で座ってる人の顔が見えすぎて気恥ずかしい。こういうときは、見てる人の上の空でも見ていれば良いですね。

写真はベーシストで昔トンローの外人向けレストラン「ビエンチャン・キッチン」とかで演奏していた人。

次から次へと出る人がいっぱい控えてるイベントだったので15分ぐらいで終えて次のチームへ。しかし王宮周辺に来ると毎回帰るのが大変。渋滞するし、バス亭が分かりにくいから乗ったら逆方向だったりして。

(今日から私用でラオスへ向かいます)