2006-08-27

日常に戻る

26日朝、寝台でバンコク到着。アパート で水浴びしたらそのままタイ文化センターへ。

今期はポンランの基礎を習う予定なのに、前回はA先生に注文したスティックのことをすっかり忘れられていた。今回はちゃんと覚えていたようで、写真のスティックをゲット。

スティックはタイ語でマイティーと呼ばれます。直訳すると「打つ木」。美しい形ですね。300Bもする高級品ですから。そんなに良いのじゃなくていいよ、って言ったんだけど。あ、まだ料金払って無いのを思い出した。

練習は始めたけど、まだメロディー追うのもままならない状態。家で練習できないから、まともになるのには時間がかかると思われる。

この日の午後と翌日はディンデーンの『タイ日本運動競技場』で行われている国際若者体育大会みたいな催しへ演奏に行く。若年層の運動選手が各国から来ているようだ。

外人が珍しそうにビデオに撮っているけど、運動選手達はそれほど興味が無さそう。むしろこの区画に入れない一般タイ人の人達が金網越しに興味深く見ていた。

ダンサーも少ないので、事前打ち合わせ無しで気が向いたものを和気あいあいとやるだけ。たまにはこういう気の抜けたのも良いかも。

2006-08-25

村見学

村長の家に泊めてもらった翌朝25日は村を案内してもらう。

田舎で村を見学というと、興味は無くともまず大抵は田んぼに連れて行かれる。苗を育ててから田んぼに植え替えるナーダムと言うのに対し、この村では種をばら撒いて育つまでほったらかしのナーワーンという方式。

自分は田植えの知識は無いので、どの部分が田んぼなのかもよく分からない。

寺の境内にあるゴザ工場で朝食をご馳走になる。おばあちゃん達がいっぱい。

おかずはノーマイゲーン(タケノコのカレー)、パックドーン(香味野菜の浅漬け)、小海老を煮た物、野菜炒め等。ナムプリック・パラーが特に美味しかった。タケノコも都会で食べる、一度漬け込んだものではないそうだけど、自分には味の違いは分からず。

食事の後、広い境内を散歩。魚を養殖しているようだ。プラーニンというバンコクでもよく食べる魚でテラピアの一種なのかな?鯛のような形の淡水魚。これを稚魚からある程度育てたら川に放流する。そして大きくなったら捕って食うそうだ。

朝9時、村長にバス停まで送ってもらう。宿泊費を少々渡そうとしたら要らないというので、ではあの坊さんにタムブンして下さいということで了解。あれ、モーケーンへの謝礼を渡すのをまた忘れた。

そんなわけで朝10時発ソンテウでヤソートンへ1時間、バスでウボンへ2時間弱、ウボン市内で名物ムーヨー(豚肉のねりものでビールのつまみやヤムの材料として美味)を買ったりとうろうろして、夕方2等寝台でバンコクへ向かった。寝台でラオカーオを飲みすぎて気分が悪くなったけど。

前触れもなく行った見ず知らずの旅行者に対して随分面倒を見てくれる、タイの田舎の良い一面だな、と思った。

2006-08-24

ヤソートンのモーケーン

寺の境内でウトウトしていたら村長がやって来たので、ここに来た経緯を説明。そうこうしているうちにモーケーンもやって来た。

ヤソートン、クッチュムのがっちりした体格のモーケーン、チャーンナロン・スゥープスワンさん。

簡単な説明をしつつ、ライヤイ、スッサネン、ポーサイ、いろんな歌と、とにかく吹きまくる。一応mp3プレーヤで録音したけど演奏正味30分ぐらいだろうか。毎度ながら言葉を聞き取るのがしんどいが、徐々に録音を整理していこうと思う。こういう機会がある度に今時のローランドのレコーダーとかが欲しくなる。

チャンナロンさんのケーンはナコンパノム産で竹管に独自の模様が焼き付けてある。最近1500Bで仕入れたそうだ。おそらくナコンパノム産では最高級の部類だと思う。この地方のモーケーンは通常ナコンパノムやムクダハンで仕入れるそうで、どうりでウボンやヤソートンで産地を探すのは難しいわけだ。

このケーンのキーはGm、吹いてみるとやはりAm標準仕様とは違い、非常に多くの息を使う。これはこれで練習しないと全然良い音にならないと思われる。伝統的なモーラム仕様のケーンはGmかFmが多く、職人の腕にもよるが、キーが下がる程に使う息の量は増える。

一時間程してモーケーンは帰っていた。後で気付いたけど、モーケーンに謝礼を渡すのを忘れた。わざわざ来てもらったのに、すまんです。

その後は村長の家に行って、食事をご馳走になる。

村長は自作のエレキピンを持ち出してきた。写真は村長の息子。

ピンを弾く人には自分で作るという人が多い。カヌン(ジャックフルーツかな?)の木を切り出してネックまで一枚板で作る。ピックアップやペグなどはギターの物を使うが、弦は車のブレーキワイヤーをバラしたもの。粘りがあるので切れないのだそうだ。

この夜はてっきり寺で寝ることになると思っていたが、結局村長の家に泊めてもらった。ちなみにタイの田舎では旅行者が宿に困ったら寺に行けば無料で宿泊できる、と昔聞いたことがある。現在でもそれは本当のようだ。

おまけ。村長の孫も、しっかりケーンを吹いています。

ヤソートンへ

ウボンの楽器産地についてはまったく情報が無く、有るかもしれないと噂に聞いたのはヤソートン県のクッチュム群ノンプアイ区というところ。

実際行ってみると、結構遠かった。タラカーンからウボン市内へバスで約1時間、ウボンからヤソートンにバスで2時間弱。ここまで来たところで、そのへんの人にクッチュムに楽器作ってる村が有るか聞くと、「噂は聞いたことがある」そうなので、そこからソンテウで約1時間でクッチュムに到着。

この後ノンプアイに行くわけだけど、既に夕方4時頃だし凄い田舎でゲストハウスは一軒も無いそうだ。そもそも地図を持っていかなかったのでここがヤソートンのどの辺りに位置するのかも知らないなー、なんて思っていたら坊さんが「一緒に行くかね」と話し掛けてきた。ヤソートンのバス亭で自分がそこらの人に尋ねたのを横で聞いていて、同じソンテウでクッチュムに来たので事情を知っていたようだ。それならとお言葉に甘えて、トゥクトゥクでこの坊さんの寺へ。

着いた寺はワット・ナーサベーン、村の名前もバーンナーサベーン。一応目的地のノーンプアイ群の中に位置するそうだ。敷地はかなり広いが坊さんはこの人だけ。

坊さんと話すのはちょっと気を使う。ほとんど坊さんと話したことがない自分は呼びかけるのにも「坊さんに対する二人称は何だっけ」とかいちいち考えていた。

坊さんはとりあえず村長に電話。村長は仕事が終わってから来るということで、寺を案内してもらう。

本堂はなぜかゴザの工場を兼ねていて、6, 7人のおばあちゃん達がゴザを作っていた。ゴザといっても手編みだと量産品よりは高値だそうで、一応この村の特産品のようだ。

坊さんが入っていくとおばあちゃん達がきちっと座りなおして拝んでいた。本物の坊さんのようで安心。疑っていたわけではないんだけど、なんとなく。

ここで分かったのは、どうやらノーンプアンでは職業として楽器を作っている村は無いそうだ。残念だけど村長がモーケーンを呼んでくれるらしい。ヤソートンのモーケーンに会えるならそれもまた良いかと思う。

2006-08-23

再びウボンへ

友人とウボンラチャタニ県の田舎町へ。去年10月、ウボンのモーケーンに会った町。

8月22日バンコク発の2等寝台の夜行列車でウボンに向かう。昔旅行仲間と旅行した時から自分はこの2等寝台が非常に好きで、遠くに行く時は可能な限りこれを利用したいと思っている。特に2等寝台の下のベッド(上のベッドは窮屈)、エアコン車ではなく扇風機が良い。乗る前にビールとラオカーオを買っておく。途中でガイヤーンを売りに来るのでそれも買うべし。他の乗客とだべったりして、1等の個室にはないオープンな雰囲気が味わえる。3等は座席で、これは物凄い苦痛なので3等に乗るくらいならバスで行ったほうが良い。

翌朝ウボンに到着後、バスで更に1時間でタラカーン市に、更にトゥクトゥクで友人宅に到着。さっそくバイクを借りて散策する。途中でネット屋に寄りたくなったので探し回っていたら道が分からなくなり、やっと市場に出たところで警官に呼び止められる。どうやら一方通行を逆走したらしい。

「免許無いです」と言ったら免許不携帯で100Bの罰金、そもそも免許無いんだけどね。最初200Bと言われたけど負けてくれて、領収書も貰いました。サインはmuri、本名じゃ無いんだけどね。

まぁ大事にならなくて良かった。田舎はおおらかということで。

友人宅で一泊して、翌日の帰りの切符までの間に、ウボンの楽器産地を見てみたいと思い、友人に観光事務所や開発事務所(と訳すのか不明)や県庁に問い合わせてもらったが、これが全く情報が無い。最終的に噂として隣県のヤソートンに作っている村が有ると聞いたので、一人で行ってみることにした。

2006-08-19

新学期

文化センターの今年の後期の学期が始まった。

今回、自分はケーンではなくポンラン(イサーンの木琴)で申し込みをしていた。というのも、この施設ではイサーン楽器全般に関して一通りの基礎を習うことはできるけれど、その段階を過ぎるとさほど得るものは無い。ケーンに関してはここで一年以上やったし、あとはもう自力で伸ばすしかないなと常々思っていた為。一方、ポンランについては知識も経験も無いのでここで基礎を習うのが最適と思った次第。ポンランは図体も音も大きくて家で練習できないし。

それで、先月ポンラン用のスティックをA先生という方に注文しておいたんだけど、これがすっかり忘れられていて、しょうがないので初日は一日中ケーンを吹いていた。うーん、何も変わっていない。

午後、先月二度他県にご一緒したN先生の弟子達が見学に来た。去年タマサート大学校庭でやった時に一度だけ会った若者達。来週から毎週ケーンの練習をしにに来るという。変な話だと思ったので「ここでは基礎しかできないよ、意味あるの?」と言ったんだけど、実はまだそういうレベルだったようだ。ポンラン楽団のスタンダードもまだあまり知らないらしい。

それから、去年自分がここに初めて来た時の先生が遊びに来ていた。当時「教えます、任せなさい」と言っておきながら3週間ぐらいでドイツに教えに行ってしまった先生で、今回は一時帰国、またすぐドイツに行くそうだ。「来年帰ったら、外国人だけのポンラン楽団を作るので参加しなさい」とか言っていた。あてにならないなと思いつつ「面白そうですね~、参加しますよ」と言っておいた。